昨年の7月、新潟県の高校野球部の女子マネージャが亡くなった。練習後、事情でマイクロバスに乗れず、走って学校まで帰るよう監督に指示され、3.5kmを走り学校に戻った直後、玄関前で倒れたという。

さらに監督は救急車がくるまで間、AEDを使用せず待っているだけだった。女子マネの死因は低酸素脳症で、AEDを使用していれば助かった可能性がある。

痛ましいことだ。「AEDを使ってほしかった。助かったかもしれないと思うと、つらくて悔しい」とお父様も述べている。監督は業務上過失致死の疑いで事情聴取されたが、立件はされていない。

それから1年、今年の夏の県予選で同校が敗れたことを朝日新聞は「練習直後に倒れ・・・亡き女子マネジャーへ、捧げる2本塁打」の見出しで記事にしている。

部員の「いまは、ただただありがとうと言いたい」と気持ちにウソはないが、朝日新聞が美談に仕立て上げていることには、非常に違和感を感じる。

女子マネの死亡は不可抗力や不慮の「事故」ではなく、明らかに監督の落ち度である。刑事事件として立件されるかとは関係なく。女子マネを男子部員と一緒に3.5kmを走らせたこと、意識不明になった後の対応など、明らかである。監督の対応が適切なら「事故」自体が起きていない。亡くなることのない命だったのだ。

そういうことを抜きにして、同じ監督が率いる同校を記事にする必要があったのか? 記事にするにしても、もう少し書き方はないのか? 高校野球に関してはすべてを美化する朝日新聞。

朝日新聞からすればキラーコンテンツである夏の高校野球(甲子園)。「運動部のみんな、熱中症『無理』『もうダメだ』の勇気を」などと記事には書くが、教師批判や夏の高校野球に影響が出るようなことには触れない。
(「朝日新聞・中小路徹の欺瞞に満ちた本質隠し」参照)

最近、「地方大会の熱中症対策を呼びかけ」みたいな記事を盛んに書く朝日新聞。やることはやってるんだというアリバイ作り。真夏のどんな気候条件でも夏の大会はカネになるから止めないという朝日新聞の意思表示。

高校野球に青春をかける球児にとって、夏の大会は最高の舞台である。変更するに変更できない環境になっていることは認める。しかし、何かと言うと些細なことでも「改めろ!」と要求する朝日新聞。自社の論調と辻褄が合っているのか?