朝日新聞「運動部のみんな、熱中症『無理』『もうダメだ』の勇気を」を読んで、朝日記者の欺瞞に満ちた性根の悪を感じざるを得なかった。筆者は編集委員の中小路徹。

「この記事は主に中高の運動部員のみなさんに読んでもらいたい」で始まる記事の主眼は、熱中症などで身体に異変を感じたときは「もう無理と声を上げましょう」ということ。まあ、これはこれで重要なことだと思う。でも、ちょっと待ってとも思ってしまう。

中小路はソフトテニス部員が罰走をやらされて倒れた事例を示している。これはどうみても、罰走として校舎の周りを80周走れと指示した教師がおかしい。でも、中小路はこの教師をまったく批判していない。校長が謝ったと書くだけ。

この事例だけでなく、生徒が熱中症などになるのは、教師側の知識不足、甘い認識、未だにある根性論などだろう。どうして「やらせる側」への言及がないんだ。教師側の問題の方がはるかに大きいはずだ。

確かに、生徒側(部員)が声を上げることも重要だが、それ以前に教師側の非常識な判断が責められるべきだ。普通の感覚からすれば、まずは教師に正しい知識と判断力を持てと書かなければいけない。その上で、生徒側にも「声を上げよう」とすべきでは?

朝日新聞がお仲間である日教組の教師を批判できないという現実を、よく表している。

実に朝日新聞らしい記事であり、朝日新聞らしい記者だ。一見尤もらしいことを言うのだが、実はそこにすり替えや本質隠しがかいま見えてしまう。弱者(生徒)に寄り添う振りをしながら、肝心の強者(教師)にはダンマリ。これを欺瞞と言わずなにを言う。

それに、真夏の炎天下にハードスケジュールの夏の高校野球を主催している朝日新聞が、どの口で言っているのかとも思う。何人の前途有望な高校生の将来を潰したことか。高校球児は声を上げよう「真夏の大会はやめてくれ」と。