朝日新聞阪神支局に散弾銃を持った男が押し入り、記者2人が殺傷された事件(赤報隊事件)から31年になる。亡くなられた記者ご本人、及びご家族は、さぞ無念であったと推察する。改めてお悔やみを申し上げる。

朝日新聞は今年もこの事件に絡め、「言論の自由」や「異論に耳を傾ける」などのキーワードで社説を出した。5月2日「朝日襲撃31年 異論に耳傾ける社会に」がそれ。まあ、これはこれで構わないが、相変わらず言っていることがご都合主義過ぎて笑ってしまう。

「赤報隊事件を『義挙』と呼び『赤報隊に続け』などと、その歪んだ考えと行動を肯定する言葉がネット上に飛び交う」と嘆いているが、ごく一部の言説をネット世界での全体像のように見せるすり替えである。オレはそんな言説を見たことはない。

朝日新聞が一部をあたかも全体のごとくすり替えるのは、自身に肯定的な場合も否定で的な場合でも、常に使う常套手段だ。ノイジーマイノリティーを大きく取り上げ、サイレントマジョリティーを無視する。

また、「『反日』『国益を損ねる』といった言い方で、気に入らない意見を敵視し、排除しようという空気が安倍政権になって年々強まっている」とも書くが、これも現状認識ができていない表れである。

朝日新聞は自身が持つ「権力」は隠し、あたかも「被害者」のように振る舞うのが得意だが、そんな狡い朝日新聞の姿勢はバレている。そういう朝日新聞に対する不満が、ネット、特にSNSの拡がりにより表の出てきただけである。安倍政権になってなどというのは、朝日の言いがかりでしかない。世の中に出でくるべくして出てきただけである。

朝日新聞がこの社説で言いたいのは「大切なのは、異論にも耳を傾け、意見を交換し、幅広い合意をめざす社会を築くことだ」と思うが、自らこれを実践できているかをよく考えた方がいいだろう。

煽り、扇動、印象操作。朝日新聞の記事は最初から朝日新聞の言い分に誘導するよう、意図的と言うか悪意をもって作られている。国論を二分するような案件でも、自社の言い分を垂れ流すだけ。

さらには、結論ありきの記事作り。そのためには事実を歪曲し、それでも不足なら捏造・ウソも当たり前。何度も批判されているにもかかわらず、未だにそんな記事作りをする。

結局、朝日新聞の言う「異論にも耳を傾ける」とは、朝日新聞が主流になれずに「異論」になっている場合しか指さない。逆に朝日新聞が他社他人の言い分を「異論」として聞くことはない。

こういう自分勝手な言い分を押しつけておきながら「異論にも耳を傾け、意見を交換し、幅広い合意をめざす社会を築くことだ」とか言う図太い神経。これが捏造やウソ記事乱造の主因だろう。

当然のことながら、煽り、扇動、印象操作記事を垂れ流す「言論の自由」などない。ましてや捏造・ウソ記事に「言論の自由」があるわけがない。「言論の自由」の裏には責任と義務もあるのだ。責任と義務を果たしてから自由を言えと言いたい。