朝日新聞・高橋純子の勘違いっぷりはいつものことだが、やっぱり基本の考えがおかしいな。そんな高橋が「政治断簡」に書いていたのだが、「怒るべき時、それは今」(3月19日)だってさ(苦笑)。

朝日新聞の御用達にされてしまった感のある柄谷行人の言を借り「デモで社会は変わる、なぜなら、デモをすることで、『人がデモをする社会』に変わるからだ」と力説する。脱原発、秘密保護法、安全保障法制への反対デモで変わってきたと。

「社会にデモという回路が組み込まれたから、デモで社会は変わる」と言いたいらしい。アホくさ。

デモをするのは自由だ。ルールを守りさえすれば、何のデモをしたって良い。しかし、今後の道筋を決めるのは選挙である。これが民主主義だと思う。何でも反対! の連中がデモをすれば社会が変えられるのなら、逆にこんな恐ろしいことはない。

さらに高橋は「怒りの可視化がデモだ」というが、こんなバカなことはない。なぜなら、朝日新聞は反対デモしか見ていないからだ。まあ、賛成派はデモをする必要がないということもあるが、賛成派のデモは朝日新聞の目には入らない。

結局、高橋の言っていることは典型的な狭視眼的な物の見方でしかない上に、さらに言えば民主主義の否定でしかない。

朝日新聞が現政府の政策に反対なら反対で構わない。反対という意思をデモで発露している人を持ち上げてもいい。だからと言って、民主主義の根幹である正当な選挙を経て構成された政府を、デモで否定できるとの考えは非常に愚かであり、また危険だ。

高橋を始めとした朝日新聞が基本的に間違っているのは、圧倒的多数のサイレント・マジョリティーをまったく無視していること、逆にノイジー・マイノリティーの声を、あたかも国民の声のごとく言い募ることだ。まあ、朝日新聞は「国民」が嫌いなので「市民」と言うけど。

それにしても、騒いでいるノイジー・マイノリティーの代表が全共闘世代で、こういう連中が実は国の施策の恩恵を1番受けている世代なのには笑うしかないが。

朝日新聞が本当に責めなければいけないのは野党だろう。野党は国会内外でのパフォーマンスに明け暮れ、政策論争で国民の支持を得る努力すらしていない。しかも選挙目当てに離合集散を繰り返す。

野党が魅力ある対案(絵空事でなく)を示せばいいだけの話だろう。目指す国の指針をきちんと示し、政策で政府・与党を打ち破ればいいだけ。

「デモで社会が変えられる」などと夢想するなら、野党に真の努力を促す記事を書く方が、よっぽど現実的だと思うけどな。それなのに、野党のクズ議員どものパフォーマンスを嬉々として報じている朝日新聞。

高橋こそ、大好きな「多様性」「複眼的」の意味をきちんと考えた方がいいのでは?