朝日新聞は憲法が改正されたら、自らの存在価値がなくなると本気で思っているようだ。3月23日の社説「憲法70年 ずさん極まる9条論議」を読むと、そうとしか思えない。まあ、朝日新聞だけでなく、そのお仲間たちも同様のようだけど。

「これが戦後日本の平和主義の根幹をなす9条を改めようとする議論のあり方なのか。そのずさんさにあきれる」
「歴代内閣が合憲と位置づけてきた自衛隊を、憲法に明記するための改憲に、どんな必然性があるのか」
と朝日新聞は書く。時代とともに様々な環境が変わるのだから、憲法が変わらないのは、逆に日本が時代から取り残されるだけだと思うが。

憲法9条だけでなく、憲法で認められていないが実際には運用されている事柄もいくつもある。代表的なものは国から私学への補助(金)。また、まだ世間の認知度は低いかもしれないが、同性の婚姻関係。一部自治体では「証明書」のようなものを発行し、実質認める方向で動いている。これからの世の中では「常識」になるかもしれない。

しかし、朝日新聞のように「憲法は一言一句変えさせない」という態度でいる限り、私学への補助金も同性婚も「憲法違反」だ!

朝日新聞が枕詞のように書く「憲法が制定されてから70年」。日本国内の状況、人々の考え方などは大きく様変わりしている。世界情勢も同様だ。

朝日新聞は森友学園をめぐる財務省の文書書き換え問題は、「憲法の基本原則を侵し、民主主義の土台を壊した」という。原則論を言えば否定はしないが、ではなぜ過去の文書書き換え問題が発生した時、同じ論調をしなかったのか?

いつものダブスタだけど、憲法改正に結びつけることで論点をすり替えているだけにしか見えない。

朝日新聞は世の中に合わせた憲法改正は不可で「解釈改憲」で済ませろということらしいが、意に沿わないものは「憲法違反だ!」と騒ぐだけ。

朝日新聞も自衛隊は合憲、自衛権は所持していると認めてるのに、それを憲法に明記すると、なぜ「暴走」になるのだろうか? どうしても、このロジックが理解できない。

何も変えない、変えさせないという硬直化した思考は、「普通の国民」の目線と合致していると考えているのか? 憲法改正を最終判断するのは「国民」だということを忘れてもらっては困る。