朝日新聞はつくづく教育勅語が嫌いらしい。まあ、別に嫌いでもまったく構わないのだが、道徳観まで否定しちゃうのは、その人間性のなせる技なのか?

朝日新聞編集委員・大野博人が「4拍子のワルツで踊る教育勅語」というコラムで、独特の道徳観を示している。

大野は言う。「親を大切に、兄弟姉妹も夫婦も仲良く、友情は大事に・・・。うんざりするほどありふれた徳目」「これ(教育勅語)を聞かされて『伴侶やきょうだい、友人とは仲良くしなきゃいけないんだ』とあらためて目覚める人がいるのだろうか」。

改めて目覚めるとかいうものではなく、日本人としてというか人として、その心の奥底に常に備えていなければならないものだと思う。オレが思うに、「無意識の自覚」というようなもの。

大野はさらに言う。「こんな徳目を掲げたからといって外国の人たちが感心するとは考えにくい」「(これらの)徳目で外国から尊敬を集めようなんて、虫がよすぎる」。

道徳観は各国様々だろうが、大元にあることは変わらないと思う。当たり前のことを当たり前に考える、ということでしかない。

教育勅語をなんとか否定しようとして、人間として持ち合わせてないといけない素養の部分まで否定している。大野の低俗な人間性を表していると言えばその通りか。

その割には、朝日新聞は「近隣諸国(=ご近所さん)と仲良く」的な論調を盛んに行っていることに対して、大野はどう考えているんだろうか?

教育勅語は天皇制と絡めて、結局は天皇のために死ねと言っていると批判されるが、その部分のみ強調して全体を否定するはいかがなものか。徳目の部分だけなら否定する日本人は少ないだろう。全肯定するのも全否定するのも良くないのでは? と思う。

ところで、大野の言う4拍子というのは「挑発」「釈明」「犠牲者の振り」「勝利」だそうだ。教育勅語は素晴らしいと「挑発」。批判を浴びると「釈明」。メディアが戦前回帰などと印象操作していると「被害者振る」。教育勅語を授業で使っても構わないと閣議決定し「勝利」だって(笑)。

どこかで見たロジックだと思ったら、朝日新聞自身のいつものロジック。慰安婦を強制連行したと「挑発」。強制連行の証拠はないと言われると広義の強制性はあったとか、女性の人権問題だと「釈明」。捏造批判されると、不当な攻撃を受けているなどと「被害者振り」。開き直ってこれからも報道し続けると「勝利」。本多勝一もそう、植村隆もそう。朝日新聞関係者はみんなそう。

知らず知らずに自分たちが日頃使っているロジックになっている(笑)。ということで、コラムの本題は「4拍子で踊る朝日新聞」だな。

大野は最後に無意識に自分たちの未来を予言している。「4拍子の変なワルツに誘われて踊りだすのはやめよう。必ずずっこけるから」(爆)