4月24日に慰安婦を名乗る金福童が日本外国特派員協会で会見した。内容は日本政府による公的な「謝罪と賠償」を求めるもの。
その中で、1940年(昭和15年)に、自宅に3人の男が来て「挺身隊」として働きに出るよう強制され、その後は中国の広東省、香港、スマトラ島、ジャワ島、シンガポールなどの慰安所を転々としながら慰安婦として働かされたと言っている。で、最後にはお決まりの「私が証拠だ!」。
好き勝手言ってるけど、女子挺身隊の創設っていつだか知ってるのか?日本国内で1943年(昭和18年)、朝鮮半島では翌年(1944年)だから。
法令としての「女子挺身勤労令」は1944年(昭和19年)、朝鮮半島では施行されていない。そもそも、これらの大元になっている「国民徴用令」自体が、朝鮮半島で施行されたのも1944年(昭和19年)である。それなのに、1940年(昭和15年)に「挺身隊」としてってのは???
まあ、この金福童の素性は前からいろいろ言われている。実はオレのブログにも登場済み。
(「『慰安婦』さんの証言」参照。記事中の元慰安婦Aが金福童)
1948年(昭和23年)まで慰安婦をしていたらしい(笑)。
*今回の会見では、1940年から5年間と証言を修正してきた。辻褄が合わないところを支援団体が訂正させたんだろうな(笑)。
また、フランスまで行って反日活動をやった時は「韓国戦争当時、日本軍に無惨に踏みにじられた」だってさ。朝鮮戦争ねぇ~。日本と何の関係があるの? そう言えば朝鮮戦争当時、韓国が米軍向け慰安所を設置していたことなら知ってるけど(笑)。
こういう人間が「私が証拠だ!」なんて言っても、何の説得力もないがこの言葉は何人もの元「慰安婦」が言っている。逆にこれこそ証拠がない何よりの証拠だね。
とは言え、金福童も被害者なんだとは思う。しかしその加害者は日本軍ではなく、朝鮮人の手配師など。また近年は、韓国挺身隊問題対策協議会や太平洋戦争犠牲者遺族会などの反日活動団体に利用されている。
当時も現在も様々な人間の思惑に振り回されていることには同情を禁じ得ないが、だからといって日本政府に「謝罪と補償」要求することは、まったくの筋違いである。
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