「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや」云々。

これは、聖徳太子が隋の皇帝・煬帝に送った国書の一文。隋書に書かれているので、こういう文書を当時の為政者が送ったことは間違いない。この言いように、煬帝は激怒したという。

果たして、本当に聖徳太子が送ったのか?当時の日本は、推古天皇の時代。聖徳太子は摂政として、政治を行っていたとされる。実権は蘇我馬子が握っていた、という見方もある。

自分の歴史的な見解を書こうと言う訳ではない。当時(西暦600年前後)のスーパー大国・隋(決して中国ではない)に対し、対等の外交をしようとしたことに、感嘆しているのだ。

最近は媚中外交、なんて言葉があるくらい、主体性のない外交をしている。まったくもって、国益を損なっている。

特に尖閣諸島問題では、本当にあきれている。あれは検察の判断ではなく、政府(特に旧社会党出身の官房長官)の指示なんだろうな。

国内の反感が多いことを察知したのか、今頃になって巡視船の現状回復を要求する、なんて言い出した。

言ったからには、絶対妥協するなよ!!!