戦国武将・織田信長のルーツとされる福井県越前町の剱神社付近で、信長の十数代前の先祖といわれる「親真(ちかざね)」の、没年を記した墓石の銘文が確認されたと、町教委が発表した(11月1日)。

親真は壇ノ浦の戦い(1185年)で死んだ平資盛(すけもり)の実子で、剱神社に養子に来たとする説がある。資盛は平清盛の孫。よって、織田信長(織田家)は平氏の家系だ、ということ。(他に、親真は剱神社神官の忌部(いんべ)氏の直系とする説もある。)

今回の発表では、同神社近くの法楽寺で出土した石造物233点の中に「喪親真阿聖霊正應三年庚刀二月十九日未尅」、側面に「孝子七月吉日」と銘文が彫られている墓石があった、というもの。

これは、「親真は正応3年(1290年)年2月19日に死去。孝行な子どもが5ヶ月後の7月に建造した」と読めるという。

父親とされる平資盛が1185年に死んでおり、親真がこの年に生まれたとしても、1290年死去なら105歳になる。当時の常識としてあり得ないので、親真は資盛の実子ではない、となる。

そうなると、信長平氏説も揺らぐことになる。

でも、信長が平氏であろうと、神官の家系だろうが、信長の業績が変わることはない。一部には、信長が平氏の家系だったので、幕府を開けなかったなんてことを言っている識者もいるけど、どうなんだろう?? 個人的には、もともと信長は幕府なんか開く気はなかったと思うけどね。

そう言えば、源氏の家系だと偽って(家系図を偽造して)、幕府を開いたのもいたねぇ~(笑)。