以前、女子プロレスラー・救世忍者乱丸のことを書いたが、なかなか彼女のこれまでの苦労が伝わらなかったと思うので、また書いてみたい。
いろんなインタビュー記事や乱丸自身のブログなどから抜粋編集。(長いので、何回かに分けるよ)
網膜芽細胞腫(もうまくがさいぼうしゅ)という目のガンに罹り、片目を摘出したのは私が3歳の時でした。母は義眼となった娘の私を抱いたまま心中も考えたようですが、当の私は別段そのことを気に病むこともありませんでした。
小学校4年の時、空手師範だった父の影響で空手を習い始めると、国際武道大学に進学して世界大会にも出場を果たしました。
ところが大学3年を迎えたある日、なんとなしに観戦したプロレスに私はすっかり魅了され、プロレスラーになりたいという思いが抑えられなくなってしまったのです。
父からは「みっともない。頼むからやめてくれ」と反対されたものの私の決意は変わらず、すぐにある団体のオーディションを受けました。厳しい実技試験を終え、手応えを感じていた私でしたが、審査員の長与千種さんに声を掛けられました。
「ごめんね、傷つく言い方をするかもしれないけど、その目はどうしたの?空手をやっていたそうだけど、プロレスはぶつかって初めて成立する
スポーツだから」
「大丈夫です。私、リングで死んでもいいと思ってますから」
「あなたはそれでいいと思うんだ。でも対戦した相手はどうなるかな」
優しい言い方で、言われていることは十分分かっていました。私は返す言葉もなく、それでもやりたいと泣き喚くことしかできませんでした。
一体どうすればプロレスラーになれるのだろう。いくら頑張っても目が悪いだけで弾かれてしまうのか・・・。
悶々としていた時、偶然見つけたのがアニマル浜口さんのプロレスラー養成ジムでした。男子でさえ音を上げてしまう厳しいメニューを同じようにこなすことが出来たのは、プロレスラーになりたいという情熱以外の何ものでもありませんでした。
一年前とは見違えるような体つきに変化した頃、ある出来事をきっかけに私もあっさりオーディションに合格することができたのです(1998年)。
ただ入団はしたものの、殺人的な量の雑用と、先輩レスラーから怒鳴られる日々でした。そのうち誰にも話し掛けてもらえなくなり、マスクを外して素顔でリングに上がらされたり、頭を坊主に剃られ、見世物のようにされるなど惨めな思いを味わいました。
これが意図的な「いじめ」であったのを知ったのは、ずいぶん経ってからでしたが・・・。
精神的に追い詰められ、もうやめてしまおう。
地元に戻ってすぐに
「私、プロレスやっぱりやりたい・・・」
「あんなに強くレスラーになりたいと思ったのに、怒られただけで辞めたなんて・・・」
と後悔の日々。あれほど憧れていたプロレス・・・。
つづく。
乱丸関連
「頑張れ! 救世忍者乱丸」
参考
致知 「致知随想:不可能を可能にする力」
救世忍者乱丸オフィシャルブログ 「らんらん乱丸日記」
デイリースポーツ 義眼の女子プロレスラー「笑顔の忍術」
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