前回のつづき。
家業を手伝っていた私の元へ、ある日1本の電話が掛かってきました。「あんた、まだプロレスやりたいでしょ。うちでやらない?」電話の主は吉本女子プロレスのスター選手だったジャガー横田さん。
未練のあった私は「お願いします」と返事をし、再デビューを果たすことができたのです(1999年)。プロレスにずっと反対し続けていた父親も、私が後悔していたのを知ってか「好きにしたらええ」と言うてくれた。
入団後も先輩方の温かい指導のおかげでTWF世界タッグ王者になり、各方面から試合のオファーもいただくようになりました。
原因不明の血尿が出るようになったのはそんな頃(2006年)のことです。ある日高熱に見舞われ、病院へ行くと集中治療室に入れさせられ、緊急入院の指示を受けました。
「急速進行性糸球体腎炎(しきゅうたいじんえん)」という腎臓病で、ゆくゆくは人工透析、ダメなら腎不全・・・。治療は安静が原則。運動は禁止でプロレスなどは論外です。
その上厳しい食事制限も課され、こんな状態が一生続くのかと思うと絶望的な気持ちになりました。
ある日、ジャガーさんから電話がありました。「あんたのことだから、またメソメソ泣いてるだろうねぇ。でも、あんた今までやってきたこと考えたら、これも乗り越えられるよ」
その後、ジャガーさんと、ご主人で医師の木下博勝先生がお見舞いに来てくださった。
ジャガーさんは妊娠を打ち明けて、「まぁあんまり気にしないで行こう、なんて言ってたら、授かったんだよ!私は奇跡のこの子を大事に育んでいくよ。だからあんたも、奇跡の復活頑張らないでいい。お気楽に。なるようになるんだから!」
その時もらった手紙には、「リングで待ってるよ」と。
めちゃくちゃ泣いた!
木下先生は私に病名を聞き、「なんだ、その病気だったら、時間はかかるかもしれないけど、必ず治るよ。安心したよ」と言われました。
あれ?
それまで主治医や看護師からは、薬の副作用で骨粗鬆症になるなどと説明を受けてきたため、不思議な気もしましたが、お医者さんの木下先生にそう言われて、思い切り目の前が開けた感じがした!それならば頑張ろうと。
つづく。
乱丸関連
「頑張れ! 救世忍者乱丸」
「頑張れ! 救世忍者乱丸 その2」
参考
致知 「致知随想:不可能を可能にする力」
救世忍者乱丸オフィシャルブログ 「らんらん乱丸日記」
デイリースポーツ 義眼の女子プロレスラー「笑顔の忍術」
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