朝日新聞1月27日の社説「国会と70年 大いに論じよ歴史認識」は朝日新聞の自社単一意見しか認めないという傲慢さがあふれていた。

朝日新聞は言う。「首相から聞き流すことができない発言が出てきた」何のことかと見れば、戦後70年の安倍談話のこと。

安倍首相の「いままで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍政権としてこの70年をどう考えているかという観点から出したい」「今までのスタイルを下敷きにとして書くとなれば、『使った言葉を使わなかった』『新しい言葉を使った』というこまごまとした議論になっていく」という発言をとらえ、「こまごまとしたこと」と片づけるわけにはいかないと言う。

まだ出てもいない談話について、とやかく言う滑稽さは置くとして(笑)。まあ、朝日新聞は「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」などの文言が抜かれることを今から心配しているようだ。

安倍首相の発言の真意は簡単である。新談話全体の文脈や言いたいことをすっ飛ばして、朝日新聞が「侵略」が抜けたとか、「植民地支配」が消えたなどと、まさに「こまごましたこと」に騒ぐのが目に見えているからだろう。

朝日新聞は「木を見て森を見ず」どころの話ではなく「枝1本を見て森を見ず」だからだ。どういう言葉を使うかではなく、何を言うかである。

視野の狭い記事しか書けない朝日新聞記者は、「侵略」とか「植民地支配」とかいう言葉がないと、文章が理解できないレベルなのである。

再度書くが、まだ出てもいない談話について心配する暇があったら、自分たちの廃刊の心配でもしてろ!