今年の1月に発生した八潮市の大規模な道路陥没で、安否不明になっていた運転手の男性が遺体で見つかった。痛ましい結果となってしまった。男性のご冥福をお祈り致します。
今回の事故に関しては、男性運転手の年齢以外は基本的に報道されていない。これはご親族の意向のようだ。ご親族がそう言うなら当然のことだ。ところが、これに一部マスコミ(一部記者)は不満のようだ。勘違いも甚だしい。
今回のまだ出てきたのが元共同通信の澤康臣。元と書いたが、いつの間にか早稲田大の教授になっていた。記者が大学教授を目指すのはステータスなのかね。まあ、それはさて置き。
澤は2016年に発生した相模原市の障害者施設での殺傷事件の際、ご遺族・ご家族の意向を無視し実名を公表しろとの論陣を張ったヤツだ(この時は警察がご遺族などの意向から実名を公表しなかった)。
今回もまた澤は言う。「ご遺族のお気持ちには最大限配慮すべきだ」としつつも、「今回の件は単なる事故にとどまらず、国交省が下水道点検を見直すなどパブリックな側面も持つ事を考えれば、『ご遺族の意向』という『私』の部分だけで取材を抑制することの是非は今一度立ち止まって考えるべきです」。
「国交省が点検を見直したのでパブリックな要素がある」、だから実名を報道すべきだといいたいようだ。どういうロジック? まったく理解できない。
下水道の点検頻度や方法、さらに維持・管理について、マスコミはどんどん議論すればいいではないか? しかし、そこに被害者の個人情報が必要な理由がまったく理解できない。男性の個人情報(氏名やプライバー情報)がないと下水道の点検や維持・管理の議論はできないのか?
澤はさらに言う。「より良くその人のことを知り議論しよう、という姿勢もまた民主主義にとって不可欠です」。
被害者はたまたまそこに居合わせただけだ。被害者の意思とは何の関係もない事故だ。そんな事故について、「より良くその人のことを知り議論しよう」って何? さらにはそれが民主主義に不可欠? もうロジック以前の話だ。呆れるしかない。
今回の事故と一般論が混じっているのかもしれないが、何を言っているの? でしかない。こういう記者連中の底にあるのは自尊心と見栄だろう。「オレはこんなに取材したんだ。ここまでの情報を持っているんだ。すごいだろう」。こんなのは記者の独りよがりでしかない。
共同通信は朝日新聞とならんで偏向報道を繰り返しているメディアだ。デマの拡散も多いし、悪質な印象操作記事も多い。さらには、自社にとって都合が悪ければ「報道しない自由」を発動する。
そう言えば、共同通信は取材を断られた腹いせに住民宅の壁を蹴り上げた記者がいた。このとき共同通信は謝罪のコメントは出したが、自社HP・ニュース配信サイトでは知らんプリをし報じなかった。
そんな連中が「ご親族の意向という『私』の部分だけで取材を抑制するのはおかしい」「より良くその人のことを知り議論しよう」「民主主義にとって不可欠」とか、何を言っているのか。
読者は新聞(ニュース)という名の記者個人の意見表明や感想文を読まされているのが実態だ。特に「解説」などといわれるものはその典型だ。まずは「事実を事実として報道する」をきちんとやれと言いたい。事実に社や記者個人の思想を入れ込むな。「報道の三原則」くらい知ってるだろう!
報道の三原則
1.報道事実を曲げずに描写すること(事実性原則)
2.報道する者の意見を含まないこと(没論評原則)
3.意見が分かれる事柄は一方の意見に偏らず報道すること(不偏不党原則)
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「共同通信・澤康臣は本質を理解していない!」
「やっぱり左翼マスコミ(共同通信)は傲慢だ!」