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カテゴリ: 朝日新聞の妄言・虚言・戯言


朝日新聞の「ご都合主義」「ダブスタ」を言い出したら切りが無いとは言え、やっぱり恥ずかしい連中だと思わざるを得ない。8月30日の社説「立憲新執行部 野党の重責果たせるか」は爆笑ものだ。

執行部に岡田克也(幹事長)、長妻昭(政調会長)、安住淳(国対委員長)などが起用されたことを報じ、「ベテラン中心の布陣は、党内の安定優先という内向きの論理」などと批判らしきことを書いてはいるが、実は「我が意を得たり」なのだ。

朝日は「泉代表が『提案型野党』などとバカなこと言うからダメなんだ。野党の本分は『批判だ』と心得よ」(意訳)と書く。それからすれば、安住が早々に「対決型」になると表明したことは大歓迎のはずだ。

とは言え、やはり「安定のご都合主義・ダブスタ」は否めない。旧統一教会問題に関してだ。岡田や安住がその関係を認めているが、口を揃えて「旧統一教会との関係を認識していなかった」としか説明していない。

えっ? これでいいの?

8月20日の社説「自民党と教団 これでは不信は断てぬ」では、新閣僚や自民党の新執行部の「教団との関係は認識していなかった」「知らなかった」との説明に、「にわかに信じがたい」「人を食った説明だ」と大批判している。

一応、岡田らに「説明を尽くし、疑念に答えねばならない」と書いているが、なぜ今後の説明で良いのか? 旧統一教会との関係が明らかな岡田や安住を起用したことへの批判はないのか?

自民党議員の説明は「にわかに信じがたい」が、立民議員なら「一般のメディアと理解していた」でOKのダブスタ。じゃあ朝日は岡田らが今後きちんと説明するまでフォローしていくのだろうな? 当然、それは「知らなかった(認識がなかった)」では許されるはずもなく、厳しい追及をしていくのだろうな?

朝日がそんなことをするわけがない。岡田や安住の教団との関係性など二度と触れないだろう。それが朝日だから。

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沖縄知事選に立候補している自民党系候補者の街頭演説で、極左活動家が空の薬莢らしきものを投げつける「事件」があった(8月26日)。候補者などに怪我はなかった。この「事件」を朝日新聞など各メディアは、ベタ記事で淡々と報じている。えっ? って感じ。それでいいのか?

安倍元首相の警備に問題があったことを警察庁が認め、長官と奈良県警本部長が辞意を表明したが、今回の件も同様の問題をはらんでいると思うが。空の薬莢だからまだ良かったが、これが手製の銃や手製の爆弾、火焔瓶だったらどうするのか? 政治家(立候補者)の演説時の聴衆との距離感は難しい問題だと理解してはいるが。

しかも、この活動家は「任意」で事情聴取を受けた後、とっとと帰されている。当人は捕まらない自信があるのか、開き直っているのかは不明だが、SNSに「犯人はわたしです」などと投稿している。警察も舐められたものだと思うし、こういうのを取り締まれないのかと思う。

これが無罪放免になるのなら、今後はなんでも有りになるぞ。気にくわない候補者の演説に行って「演説妨害」をする左翼活動家は多い。まだ「口撃」だからましだったが、今回のように物理的な「攻撃」は、悪質さが断然違う。

なぜメディアはこういう視点で報じないのだろう。朝日などは心情的に極左活動家を支援しているので、批判しないのだろう。しかしこういう態度が朝日がよく使う「民主主義の破壊」であることを自覚しているのだろうか?

まあ、朝日などは「口撃」を「表現の自由」と意図的に曲解し大擁護している。札幌地裁の「変な判決」が後押ししている面もある。

安倍元首相の「国葬」を実施した場合に、岸田首相に危害を加えるよう呼びかける投稿をした男(48歳)が書類送検された(8月24日)。しかも男は「手製拳銃を作れる人に対する煽りの意味で投稿した」と供述している。ここまでくると「殺人教唆」だ。「偽計業務妨害」での書類送検など生やさし過ぎる。しかもこれが「不起訴」や「起訴猶予」になるなら世も末だ

朝日は男が書類送検されたこともベタ記事だ。こういう気にくわないこと(相手)に対し「暴力」で対抗するような発想を野放しにしてはいけない。朝日を始めとする各メディアは強い口調で批判しないといけないはずだ。

特に朝日はだ。繰り返すが、朝日は何かと言うと「民主主義の破壊」と書くが、真の「民主主義の破壊」にはダンマリを貫く。お仲間だからだろう。こういう「ダブスタ」には怒りを通り超して呆れるしかない。


朝日新聞8月21日の記者解説「判決が突きつけた『万が一』の責任 東電株主代表訴訟判決から考える」は、朝日(記者)の「ご都合主義」「不都合な事実を見ない」特性丸出しの記事だ。筆者は編集委員・佐々木英輔。

原発事故をめぐる東電(旧経営陣)に対する株主代表訴訟判決を解説している。解説とは物は言い様だ。その内容は佐々木(と言うか朝日)がただただ喜んでいるだけだからだ。

東京地裁の判決は、東電の旧経営陣に対し13兆3,210億円を賠償するよう命じている。理由(要旨)は「巨大津波が予見できたのに対策を先送りし、取締役としての注意義務を怠って事故を招いた」というもの。「巨大津波が予見できた」という事実認定が、今後の上級審でどうなるかは微妙だと思うが。

判決は「(原発事故が)『万が一』にも起こらないようにする義務があるのに怠った」とも言っている。佐々木はこの「万が一」を記事のタイトルにし、原発に関しては「万が一」も許されないとしている。つまりは「万が一」にも対応出来るようにしておけ(対策しろ)と佐々木は言う。

反原発原理主義を貫く朝日からすれば「我が意を得たり」の判決だろう。しかし朝日が「万が一」のことを考えるなと言う分野が存在する。そう、安全保障(国防)に関することだ。

北朝鮮がミサイルを発射しまくっても「ミサイル防衛? とんでもない! 1発なら誤射かもしれない!」。中国が各地で海洋進出(力による現状変更)をやっているのに「護衛艦の改修? 空母化だ! とんでもない!」と大騒ぎ。

極めつけは、ロシアがウクライナを侵略する現実を目の当たりにしても「防衛費の増額? 中国さまを刺激するな!」。さらには「ミサイル防衛強化? 中国さま内陸部や北朝鮮に届いてしまうではないか、とんでもない!」。

国民の生命と財産を守る義務を負う政府が「万が一」を考える施策を提案すれば。「そんなことは必要ない!」と大反対する朝日。

中国・ロシア・北朝鮮の実情を考えれば、その対策は「万が一」の対応などといったレベルではなく、いつ「現実」になってもおかしくない話だ。それにもかかわらず、朝日は自分らにとって「不都合な事実」を見ようとしない。

朝日が「万が一」の原発事故判決を喜べば喜ぶほど、「万が一」の安保施策に反対する姿は「ご都合主義」あり、無責任のそしりを免れないだろう。しかし朝日は気にしない。それが朝日だから。

自分らの主張に合致した判決という「事実」に喜び「万が一の義務があるんだぁ~!」とは言うが、国際情勢(特に中国の横暴)という「不都合な事実」からは目を逸らし「万が一なんて考えるなぁ~!」と言う朝日。

余りにもおバカ過ぎて笑ってしまう。

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朝日新聞8月15日の社説「戦後77年と世界 平和の合意点を探る時だ」は、朝日史観(左翼史観と言っても良い)で書かれた上に、具体的な事実(歴史的事実)もないイメージ論ありきの駄文だ。

まあ、論説主幹の根本清樹あたりが書いたものだろう。根本に限らないが、朝日の論説委員連中は「印象操作」に長けているヤツが多い。「印象操作」記事が書けないヤツは論説委員にはなれないのが朝日だから。

社説内で「忘れてはならない歴史の事実がある」と書いた後に、「勢力圏の拡張を夢見て近隣国に攻め入り、孤立し、破局に至った日本」だそうだ。これが朝日の先の大戦での日本の評価だ。「歴史の事実」?

例えば、こんな「歴史の事実」もある。インドネシアの独立宣言書の日付は「17/8/05」である。最初の2つの数字「17/8」は8月17日を示す。では3つ目の「05」はというと、皇紀2605年の「05」だ。つまりは「1945年」(昭和20年)。初代インドネシア大統領・スカルノと副大統領・ハッタが署名している。

インドネシアで圧政(愚民化政策による搾取)を敷いていたオランダを追い出し、その後に官吏育成学校や師範学校などを設け、国づくりに必要な教育を行った日本。日本がオランダを追い出し、インドネシアのためになる統治を行ったことへの「感謝」と捉えることが普通ではないか?

日本の降伏後、再進出してきたオランダはスカルノを「日本の傀儡」「対日協力者」と位置づけた。これを以て、朝日は「傀儡だから皇紀を使った」と言うかもしれない。しかし、インドネシアはオランダと戦った。黙って再征服されるようなことはなかった。結果的にオランダを破り独立を勝ち取った。「日本の傀儡」が日本が去った後にオランダと戦うか?

つまりは歴史には表裏がある。◯か✕のような極端な捉え方は間違いだ。朝日のように自分らに都合の良い歴史のみを「事実」とし、不都合な面を見ない論考はメディアとしてやってはいけないことだ。

朝日は「勢力圏の拡張を夢見て近隣国に攻め入り、孤立し、破局に至った日本」の具体的事実を一切書いていない。朝日からすれば、既に具体的事実など周知だと考えているのかもしれないが。しかし「歴史の事実」のない朝日論法は「印象」論でしかない。そう「印象操作」。

もちろん、朝日の言う「歴史の事実」を100%否定するつもりはないが、これを前提に過去の日本を論じるのには無理がある。

朝日の好きな言葉に「複眼的」がある。社説でも多く使われている。朝日主観に合わないことを言う者に「複眼的にものを見よ」などと偉そうに使うことが多い。しかし朝日は決して物事を「複眼的」には見ない。自らの一方的なものの見方しかしない。

そんな朝日が決して触れない「歴史の事実」がある。昭和30年(1955年)にインドネシアで開催された「第1回アジア・アフリカ会議」で、日本代表団が大歓迎されたことだ。日本代表団の代表代理であった加瀬俊一は「日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたから、今日のアジアがある」と言われたことを語っている。

朝日の言う「近隣国に攻め入り、孤立し、破局に至った日本」という「歴史の事実」に、いかほどの説得力があるかは一目瞭然である。

戦後まもなく朝日はGHQに廃刊を脅され、その軍門に降った。さらに社内で共産主義革命が起こり、共産主義者の手中に落ちた。以後、ソ連・中国・北朝鮮のための紙面作りをしてきた。その中で培った「反日・侮日」精神は現在もその紙面を覆っている。

本田嘉郎が傷を付けたサンゴの写真に、降幡賢一がつけた文章がその代表だろう。「(日本人の)恥じない、精神の貧しさ、すさんだ心」。

主語を「朝日新聞の」とすれば、非常にスッキリする文章になる(苦笑)。こんな朝日が書く「日本論」に何の説得力もないことは明らかだろう。


朝日新聞8月2日の社説「ネット中傷対策 事業者の本気度を問う」は、相変わらず朝日は他社を批判するときは威勢が良い見本のような記事だ。

ツイッターやメタ、ヤフーといったプラットフォーマーに対し、ネット上での「誹謗中傷」「違法・有害情報」にどう対処するかの説明を、法律に基づいて求めることなどを盛り込んだ素案を総務省(有識者会議)がまとめたことを書いている。

そして、情報開示などに積極的でない一部プラットフォーマーに対し、「業界の取り組みに厳しい目が注がれていることを、どこまで自覚しているのだろう?」と批判する。

朝日は相変わらず他社・他人を批判するときは威勢が良い(苦笑)。

じゃあ翻って、朝日はどうなんだ? と問いたい。もちろん、朝日が直接的に「誹謗中傷」「違法・有害情報」を出すことはない。しかし「誤報」という名の「捏造」はどうなんだ? 朝日の「捏造記事」は、多くの日本人の名誉を毀損してきた。結果的に「誹謗中傷」「違法・有害情報」を間接的に山ほど出してきたのが朝日だ。

それに対し朝日は真摯に反省したのか? とんでもない! 「ちっ、ばれちまったか」との対応に終始してきた。もしくは最後まで「捏造」を認めないで開き直ってきた。こんな朝日が、他社を偉そうに批判する。

現在流行りの「第三者委員会」。これを最初に考案し、逃げることで責任逃れしてきたのが朝日である。「NHK番組改変捏造」だ。同様の手法で「慰安婦捏造」も逃げ切ったと高を括っている。

これら以外にも「反原発原理主義」のため捏造記事を大量に垂れ流した。竹内敬二(退職、当時編集委員)の記事に、どれだけの事実が書かれていただろうか。現在も科学的なデータを無視した「悪質印象操作記事」を書きまくっている。それは福島への風評被害に繋がっている。

同じように、朝日が「薬害だぁ~!」と騒いだ「タミフル」や「子宮頸がんワクチン」の記事。特に「子宮頸がんワクチン」に関しては、斉藤智子が与太記事を書きまくった。そのことが厚労省の推奨中止から、がんで3,000人もの女性が亡くなり、それ以上の女性が子宮を失う状況に繋がったことは否定できない。

もちろん100%朝日のせいとは言わないが、悪質なのは現在「子宮頸がんワクチンは有効だ」とする記事を複数書き、アリバイ作りをしていることだ。なんと姑息な。

朝日の「捏造記事」「ウソ記事」「悪質印象操作記事」「煽り(扇動)記事」の数々により、多くの日本人が被害を受けてきた。

朝日は自らの、ある意味日本人への「誹謗中傷」「違法・有害情報」を垂れ流してきたことに対し、一体どれほどの反省をしているのだろうか? こんな朝日が一部プラットフォーマーに対し「その振る舞いや体質を厳しく監視し、是正を促していく必要がある」などとよく言えたものだ。

朝日は他社を批判する前にやることがあるだろう。


朝日新聞が定期的に行う「中国批判のアリバイ作り」社説が8月7日に載った。「中国軍事演習 無責任な威嚇をやめよ」がそれ。

ペロシ米下院議長の訪台に抗議し、中国が台湾周辺区域で大規模な軍事演習を行っている(社説掲載当時は継続中)ことを批判している。なぜこれがアリバイ作りかと言うと、中身がスッカラカンだからだ。

この社説のダメなところは、中国の一方的な言い分を垂れ流しているだけなことだ。「結託する米国と台湾を震え上がらせるものだ」「事前の警告に耳を貸さなかった米台の側に非がある」「(日本は台湾問題に対し)とやかく言う資格はない」とか。

中国の言い分を「これでもか」と書いた後は、朝日のちょっとした批判もどきが出てくる。「過剰反応だ」「演習名目とは言え危険極まりない」。これって批判なの? 批判になってないだろう(苦笑)。

中国のミサイルが5発も日本のEEZ内に落下したにも関わらず、「日本も冷静な対応に努めるべき時だ」だって。さらには何の関係もない「台湾の植民地支配という過去が日本にある」とか書く。

そしてお決まりの「異論があるからこそ対話で意見をぶつけ(後略)」「日米はくり返し中国側に説き、強く自制を促したい」だって。

「話し合え!」と言っても、話し合う気のないヤツとどうすれば話し合えるのか? 一体いつまで同じことを言ってれば気が済むのか? 本来ならメディアは、こういう無法な中国を前提に「こうするべきだ」を論じなければならない。

しかし朝日はいつもその前の段階で終わってしまう。そして言うに事欠いて「はい! 日米も悪いです」に終始する姿は、惨めを通り越して滑稽の一言だ。

論説委員の箱田哲也は中国メディアのインタビューで「(一帯一路は)日中がWinWinの関係を築くためには有効なツールだ。期待している」なんて、嬉々として答えていた。

一帯一路を経済ツールと捉えているアホが論説委員をやっている朝日。スリランカの実情をどう考えているのだろうか? アジアと中東・アフリカを結ぶシーレーンの要衝を、中国はこともなく手に入れた(に等しい)。これからも世界中の「あちこち」で、同様の事例が発生するだろう。

箱田は朝鮮半島担当ということになっているが、国際社説に関係している論説委員だ。こんな「中国さまぁ~!」社説になるのはしょうがないのかもしれない。


朝日新聞7月30日の社説「IR投票否決 維新は住民に向き合え」は、朝日の体質が如実に表れているもので、ある意味面白すぎて笑ってしまった。

内容は「日本維新の会」「大阪維新の会」を批判するものだ。朝日は自らのイデオロギーに合わない政策を主張する政党を毛嫌いする。その政策が日本や地域にとってどうかなどの判断基準はない。

まあ朝日の紙面なので、好きに書けばいいけど。

大阪維新の会がカジノを含む統合型リゾート(IR)誘致を巡る住民投票条例案を否決したことを批判している。自らが推進した「大阪都構想」では、1回反対多数になったのにもう1回やったくせにと言い、これを「ご都合主義」と書く。

この大阪維新の会の対応の是非は置く。大阪府民が判断すべきことなので。それよりも、朝日が他社・他人を「ご都合主義」と言うか? ここまで堂々とブーメランを投げる勇気。素晴らしい!(笑)

朝日がIR事業に反対なのは構わないが、カジノを目の敵にしているのにも笑うしかない。その理由は「ギャンブル依存症がぁ~!」。

そのくせ、現実に依存症を生み出しているパチンコには何も言わない。言わないばかりか、逆に地域住民が「自然と交流する場」みたいな感じで好意的に書く。2020年のコロナ感染症拡大初年には、「パチンコを擁護」する趣旨のインタビュー記事を載せている。当時、営業しているパチンコ店にお客さんが集まり、「密」になり感染が拡大するとの批判が出ていた。

両親がパチンコに興じている間に幼児が犠牲になる事故などが多発している。しかし朝日は何も言わない。パチンコ批判もしない。そう、朝日はパチンコ推奨だからね。だって、その多くの経営者が朝鮮半島出身者だから。

社説の最後は「大阪維新の会」から発展した「日本維新の会」も大批判。やれ「憲法9条への自衛隊明記」だ「防衛費の増額(GDP2%)を主張している」だ、朝日のイデオロギーが絶対であるわけはないのに、それと違う主張は「悪」のごとく書く。

そして「保守票にアピールする思惑が先に立ったのなら、無責任のそしりを免れまい」と、いつもの勝手な推定で批判する。批判するなら、せめて事実に基づいて批判しろよ。「~であるなら」との批判なんて、何でもできちゃうだろう。

まあ、こういう朝日体質が「捏造記事」「ウソ記事」「悪質印象操作記事」になっているんだけど。懲りない連中だ。

パチンコ推奨・カジノ反対の朝日が、他社・他人を「ご都合主義」と呼ぶ「ご都合主義」。自らのイデオロギーを絶対視し、他は認めないかのごとく批判する「極左活動家能」。まあ、いつのも朝日だ。

朝日が過保護にしてきた立憲民主党が余りにふがいないので、ライバルになりつつある維新の会を批判してダメージを与えたかったのだろう。朝日がいくら立民の不祥事を庇ったところで、国民はしっかり見てるからね。

特に蓮舫の「二重国籍問題」時、あんな「バレバレのウソ」を「説明が揺れた」などと擁護、「出自差別」へ論点ずらしを行った朝日。こんな恥ずかしいことをする新聞もどきがジャーナリズムであるはずがない。

やっぱり恥を知らないヤツが、一番恥ずかしということ。


朝日新聞と日本高野連が主催する「全国高等学校野球選手権大会」(夏の甲子園)が8月6日から開催される。各都道府県の代表校も決まり、開幕を待つのみである。

そんな夏の甲子園だが、今年から入場料が大きく値上げされる。
バックネット裏指定 2,800円 ➤ 4,200円
一塁・三塁内野席 2,000円 ➤ 3,700円
外野席 500円 ➤ 1,000円

以前のように当日券を求めて人が殺到し、炎天下で熱中症の患者が出たり、新型コロナウイルスの感染が起きたりすることを懸念し、全席を一日通しで見られる前売り制にした。そのため観客の入れ替えが減少し、入場料収入が減るための値上げだとされる。

よく言うわ。

熱中症やコロナ感染対策なんてとってつけた言い訳だ。熱中症問題なんてここ数年言われ始めたことではなく、ずっと前から言われている問題。それを朝日の懐勘定のために(儲けるため)、頑なに日程変更や分散開催を拒否してきた。

またコロナ感染症対策というなら、開催を中止すればいいだろう。新型コロナのオミクロン株(特にBA5系統)の感染力は強力だ。感染者(検査陽性者)だけを見れば過去最高を更新中だ。しかし朝日に中止などという意思はまったくない。

昨年は無観客(有料観客なし)で学校関係者(父兄含む)のみを入れていたが、その関係者からはバカ高い「寄付金」(決して入場料ではない)を取っていた。しかし例年の収入からから見れば雀の涙だ。

さらにはコロナ感染症対策費という名目でクラウドファンディングを行ったが、目標1億円に対し1,400万円弱しか集まらず。当たり前だ。そういう対策費を主催者が負担するのが当然だろう。「無観客で収入がないので、お前らが出せ」などという主催者を見たことがない。

ここ2年で収入が大きく落ち込んだし、昨年のクラウドファンディングも失敗したし(一昨年は夏の大会中止)、じゃあ値上げして儲けようという安直な発想でしかない。

朝日は「収入がぁ~!」と言うが、では支出はどうなのか。だいたい主催者の支出なんて、あってないようなものだ。甲子園球場は「ただ」で貸してもらい、審判はボランティア(交通費のみ)。それに選手18人と監督・部長(責任教師)の移動・宿泊費のみ。宿泊費はひとり当たり4,000人ぽっち。

高校生の教育の一環としての「部活動」(これも建前論かもしれないが)で儲けようという発想がい浅ましい。

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7月10日に投開票された参議院選では、女性の当選者が過去最高になった。衆議院選も含めた戦後の国政選挙で初めて3割を超えた。女性が様々な立場で活躍することは喜ばしいことだ。

ただ朝日新聞はまだまだ不十分だとして自民党を批判するとともに、「クオータ制」の導入を検討する時期に来ているとする。「クオータ制」とは候補者や議席の一定数を女性に割り当てる制度のこと(7月14日社説「女性当選最多 『均等』へ さらに努力を」)。

一般論として女性の社会進出・活躍を否定するつもりはまったくないが、かと言って政治上での制度化することには反対だ。重要なのは政治家としての明確な国家観、信念と心構え(国に対して何をどう貢献するか、実現するか)だと思うから。

例えば、平和な社会の実現とか差別のない社会の実現とかいう抽象的な目標だけではダメで、それを具体的にどう実現するかという明確なビジョンが必要だと言うこと。

女性だからという「属性」のみで選ぶのには違和感がある。もちろん、女性が男性に比較し政治的にどうだということは一切ない。きちんと信念があれば問題ない。

NHKの世論調査でも過去最高の女性候補が当選したことに対し、「人数の問題ではない」が58%と最高であった。他「少ない」23%、「多い」2%など。これを観ても明らかなように、国民は少ないとは感じつつも「女性なら誰でもいい」とは考えていない。

次の動画に登場する女性議員には、国会議員としての信念、心構えがないと言わざるを得ないものだ。特定の女性議員の一場面のみで批判するのは本意ではない。しかし象徴的な場面であることも事実だ。



2020年3月25日の参院予算委員会。登場人物は立民・蓮舫、国民の矢田わか子、伊藤孝惠の3参議院議員。冒頭には立民の森ゆうこも登場するが、今回は森は置く。表記は戸籍名ではなく国会での登録名。

国民の田村まみ議員の質問中、その後ろで楽しそうに井戸端会議(おしゃべり)をする蓮舫、矢田、伊藤。何をしに国会に来てるの? おしゃべりならファミレスでも喫茶店でも、国会外でやれと言いたい。当然。大炎上。

今回の参議院選で矢田は落選した。蓮舫は大きく票を減らし、伊藤は最下位当選(ついでだが森も落選した)。この「おしゃべり」のみが原因とは言わないけど。

女性活躍を人数で判断するのは簡単なことだし、分かり安いことも確かだ。しかし人数比を同率にして指標(例えばジェンダーギャップ)を上げても、真の女性活躍とは言えないのではないか。

じゃあ、朝日の女性活躍度はどうなのか? 以前書いたが、2020年度の女性役員比率(執行役含む)は16.1%。「何を偉そうに言ってるんだ」というレベル。
(「朝日新聞の女性活躍度は?」参照)

朝日を擁護するわけではないが、朝日だって役員の任を「属性」のみで選んでいるわけではないだろう。そこには人格・実績・経験など、様々な要素を判断してのことだろう。議員だって同じことだ。

最後に、じゃあ男性議員は信念があり心構えがしっかりしていて、国会議員の任に値する人物ばかりかというと確かにそうじゃない。本会議や委員会で居眠りしている姿はよく映し出される。年数(当選回数)のみこなして大臣になるのが目的のようなのも多い。

結局は性別という「属性」ではなく、その人物の本質を良く見なければいけないという当たり前のことが結論。


朝日新聞が安倍元首相の国葬に関しやっと社説に書いた。7月20日「安倍氏を悼む 『国葬』に疑問と懸念」。岸田首相(政府)が国葬実施を表明したのが7月14日なので、一週間近くも経っている。

他紙は読売と毎日が7月16日、産経は7月14日の社説で意思表明をしている。産経の7月14日というのは、政府が表明する以前(当日)に掲載されている。

朝日の意思表明が遅くなったのは、世論の動向を見極めていたのだろう。朝日の社説は世論とかけ離れた主張が多く、後になって恥ずかしい思いをしたことが多かったから。

安倍元首相の実績評価、戦後70年談話、韓国・釜山の日本総領事館前の少女像問題、東京五輪の中止勧告(2021年)など、朝日の主張が世論(朝日の世論調査)に否定される結果となっている。

事件現場に献花に訪れる人々の長蛇の列、自民党本部や各地のの献花台も同様。増上寺での家族葬にも多くの人々が最後のお別れにと会場周辺に集まった。多くの国民が安倍元首相の死を悼む姿が示されている。また、世界の260か国・地域・機関から、1,700件以上の弔意が寄せられている(外務省)。

朝日も少しは現実が見えたのかも知れない。社説では「反対」と実質言っている内容なのだが、「反対」の文字は一切使っていない。オレから言わせれば、こんなのは「朝日の逃げ」でしかない。朝日はしっかりと「反対だ」と書くべきだった。

朝日が国民世論とかけ離れているのは、今に始まったことではない。朝日の論調・論考は「特定の勢力」にしか受け入れられない。朝日自身が「特定の勢力」の代表なんだから。それに、実質「反対だ」と言うわりには内容がない。法的根拠がない、過去の首相経験者はこうだった、安倍元首相には疑惑がある。そして、いつもの分断を煽るなぁ~! (苦笑)。

朝日は感情論で煽るくらいし能がないのは誰もが知っていること。特に反原発論考はこれしない、今回も「モリ・カケ、サクラがぁ~!」と「分断を煽るなぁ~!」しかない。

この程度の内容なら岸田首相が国葬を表明した翌日に書けただろう。朝日は捏造と煽りとタブスタしかないんだから。


ここ10年、朝日新聞の国政選挙後の報道(特に社説)にはお決まりの内容がある。今回の参院選後も同様だった。

その前提として、選挙結果は自民党(+公明党)が大勝し、野党(特に朝日一推しの民主党から連なる面々、今で言う立憲民主党)が惨敗してきた事実がある。今回も選挙結果は同様なのだから、朝日の論調も同様になるのはやむを得ない。まあ、それにしてもコピペしているのではないか、というくらい同じことを書いていた(苦笑)。

参院選翌日(7月11日)の社説「自公勝利後の政治 民主主義 実践が問われる」がそれ。安倍元首相の死去という重大事件が起こったため、それに対する言及が含まれてはいるが。

朝日は言う。「フリーハンドではない」。いつもは「白紙委任ではない」なのに。同じことだけど(苦笑)。そして「防衛費の倍増論や敵基地攻撃能力の保有について(中略)選挙が終わるのを待ったかのようにアクセルを踏むことなどあってはならない」。また、改憲に積極的な4党合計で3分の2を超えたことに対しても「数を頼んで拙速に結論を求めることは許されない」とも書く。

自社イデオロギーに反する施策には反対だと書くが、これは選挙という「民主主義」の根幹で示された「民意」なのだが。もちろん、有権者のすべてが「安全保障」「改憲」を最優先として投票したわけではないだろうが「民意」であることには間違いはない。

朝日は社説中で「民主主義への信頼」「民主主義の原則」などと、「民主主義」を連呼する。しかし朝日が民主主義を疎かにしているのは、過去の記事からも明らかなことだ。

自民党(安倍元首相と言ってもよい)の政策が気に入らないと、何でも「民主主義の破壊だ」と書いて来た朝日。自社イデオロギーに反する政策(行為)は「反民主主義」とレッテルを貼りまくった。

そして自民党が国政選挙で勝利すると屁理屈を並べて(多くは低投票率)「こんなの民意じゃない」と、恥ずかしげもなく書いてきた。これこそ「民主主義の否定」である。

極めつけは自治労(高松選管)が犯した開票不正を大擁護したことだ(2013年参院選)。特定の候補者の得票を0(ゼロ)票にするという、前代未聞の悪質な犯罪行為だ。これを朝日は「勘違い」「思い込み」などと「過失」であるかのごとく書いた。「故意犯」なのは明らかなことだ。だから実行犯は有罪判決を受けている。

開票不正などという「民主主義を破壊する行為」を擁護しておきながら、「民主主義がぁ~!」とは呆れるしかない。

最後に、朝日が「民主主義」などという言葉を使ってはいけない恥ずかしい記事(社説)を紹介して終りにする。2014年の衆院選で自民党は大勝した。すると朝日は「投票率が低いから、こんなの民意じゃない」と書いた。

しかし、その衆院選報道で唯一「これが民意だぁ~!」と書いていたのが沖縄県の結果だ。沖縄県では自民党は4選挙区すべてで敗れていた。朝日はよほど嬉しかったのだろう。

ところが、朝日が「投票率が低い」とした全国平均は52.66%に対して、沖縄県は52.36%。沖縄県の方が全国平均より低いのだ。バカ丸だしだ。こんな朝日が「民主主義がぁ~!」などと言う資格がないのは明らかだろう。

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 「朝日新聞の支離滅裂
 他、多数。


朝日新聞のご都合主義はいつものことではあるが、何でも飛びついてしまう思慮の浅さには呆れるしかない。6月15日の社説「大雨と防災 自然の力をどう生かす」は、笑いをこらえられないくらいの代物だ。

梅雨を迎え大雨による災害を、自然本来の機能を生かした「グリーンインフラ」という考えで防災を図る手法について書いている。考え方自体を否定するわけではないが、朝日の「特定の意図」と「都合の悪いことには触れない」が酷すぎて(苦笑)。

「持続可能な社会」「堤防やダムといった大型構造物(中略)からの転換」など、朝日好みの言葉が並ぶ。そして「樹木は森林の保水力を高めて斜面の崩壊を防ぐ」効果があるので「自然を生かし活用する方向へ大きくかじを切れ」と書く。

ところが、朝日が主張する「原発ゼロ」「再生可能エネルギーをメインに」とは、ことごとく相反することになる。再エネの代表格は太陽光発電だ。これには大量のソーラーパネルを敷き詰めなないといけない。日本各地でメガソーラー発電が行われており、また新規計画も多い。ソーラーパネルを敷き詰めるには、多くの山林(樹木)を伐採し、用地を確保しなくてはならない。

個人的な試算では、東日本大震災前当時の原発による発電量を太陽光発電ですべて賄おうとすると、関東甲信越すべてにソーラーパネルを敷き詰めないといけない。日本全国はげ山ばかりになる。(「朝日新聞の『再生可能エネルギーがぁ~!』を笑う」参照)

朝日が書く「森林の保水力を高めて斜面の崩壊を防ぐ」樹木は邪魔な存在になる。現在でも相当多くの樹木(森林)が伐採されている。

大規模ソーラーパネル (1)
大規模ソーラーパネル (2)
大規模ソーラーパネル (3)
大規模ソーラーパネル (4)
大規模ソーラーパネル (5)
朝日はこういう不都合な事実をまったく書かない。しかもこういうソーラーパネルは、自然災害時に2次災害をもたらす可能性が非常に高い。雨で浸水したり破損しても、太陽光が当たれば発電を続ける(場合がある)からだ。また、破壊したパネルからは環境負荷物質(鉛・セレン・カドミウムなど)が流出する恐れもある。

朝日は「これからは再生可能エネルギーだぁ~!」と「これからはグリーンインフラだぁ~!」と好き勝手に言う。それぞれが相反する可能性が大きいにもかかわらず、関連付けて論調することは絶対にない。関連付けたらそれぞれのメリットは大きく失われ、デメリットしか見えてこないからだ。

こういうのを悪質な印象操作記事と言う。読者を特定の考えに誘導する洗脳記事と言ってもいい。それぞれのメリット・デメリット、さらには組合わせた場合のメリット・デメリットは最低限示すべきだ。それを踏まえ、朝日はこう考えると書かないといけない。

まあ、朝日は「バカな読者に高邁な我々が道を示してあげている」とでも考えているのだろう。傲慢だからな。


異例の6月中の梅雨明けに伴い、連日の猛暑が続いている。そのため電力需給が逼迫し、政府が国民に節電を呼びかける事態となっている。それに併せ「節電ポイント」を付与するとかバカなことを言い出した。

だったら逼迫しないような政策を実行しろよ。稼働後40年以上経っている火力発電所をフル稼働させて急場をしのいでいるが、何の根本的解決にもならない。

6月30日未明に、東電の勿来火力発電所9号機がトラブルで停止。途端に電力需給が危うくなった。幸い何とか乗り切ることができたが、この先も同じようなことが起こる可能性が大きい。

政府がやるべきことは国民に節電を呼びかけることではなく、安定した電力を供給できるようエネルギー政策を実行することだ。実はこれは簡単なことだ。安全の確認されている原発を動かせばいいだけのこと。

岸田首相の何でも先送り、事なかれ主義的な発想はまったく国民のためにならない。何もしないのに支持率が高めで安定しているから、訳が分からない。

ところで朝日新聞は原発の運転期間の延長(40年超)に大反対の論調をしている。昨年(2021年)6月に関西電力が美浜原発3号機を再稼働させた際、「老朽化原発」と印象操作するような煽り見出しを用い大批判した。

原発は福島第一原発の事故以来、運転開始から40年とする「暗黙の了解」ができてしまったが、事故対策を強化した新規制基準に適合すれば、1度だけ最長20年間延長できることになっている。美浜3号機はそれに合格している。

安全性という科学的な判断材料で反論できない朝日は、「老朽化」という曖昧な感情論で印象操作記事を書くまくった。

そんな朝日は「老朽化火力発電所」についてまったく言及しない。「老朽化」した火力発電所の安全性は気にならないのか? 万々が一爆発でもしたら、大きな被害が出るぞ。いいのか朝日。

原発は「40年を超えて運転? どんでもない!」「安全性がぁ~!」と大騒ぎするのに、運転40年を超えた「老朽化火力発電」には「・・・」。しかも火力発電は、朝日がやはり大騒ぎしている「脱炭素」「CO2削減」に逆行する。

「老朽化火力発電所」のフル稼働は、安全性の面からも電力の安定供給の面からも、そしてCO2削減の面からもいいことはない。しかし朝日は何も言わない。分かりやすくて笑ってしまう。

なんとご都合主義なことか。まあ、朝日らしいと言えば朝日らしいが。


高崎市の県立公園「群馬の森」にある朝鮮人労働者追悼碑(以下、追悼碑)の設置更新を巡る訴訟で、最高裁は管理団体側の上告を棄却する決定をした。これにより、管理団体側の請求を棄却した東京高裁判決が確定した。
(「群馬の森 朝鮮人追悼碑『不許可は適法』判決は当然」参照)

2014年に設置許可の取り消しを求める「請願」を県議会が採択したころから、朝日新聞を始めとする左派系メディアが群馬版のみならず、社会面まで駆使し「不許可」批判記事を書いていた。

朝日は管理団体側の「政治的発言」「政治集会化」には触れず、「多様性を認めず同調を求める世の中の雰囲気がある」「安倍政権の下で続いてきた日韓・日朝の緊張状態が、市民レベルで具現化した」と、まったく本質と関係ない方向に話を持っていっていた。そして「ヘイトスピーチと同様だ」とまで。

朝日新聞は追悼碑問題を利用し自社のイデオロギーを主張したとも言える、とんでもない記事だった。読者を特定の結論へ誘導しようとする意図があからさま過ぎて(苦笑)。

そんな朝日新聞は、今回の最高裁「上告棄却」に関しては淡々と伝えるのみ。俗に言う「ベタ記事」扱い。不許可は「多様性を認めず」「安倍が悪く」「ヘイトスピーチ」とまで主張していたのに。当時の主張の是非も含め、なにか論調する必要があるのではないのか?

朝日は都合が悪くなると途端に無口になる(苦笑)。あれだけ本質論からかけ離れたイデオロギー剥き出しのトンチンカン記事を書いておきながらだ。こういう態度が新聞メディアの信頼性を損ねている。

ところが、管理団体側の抗議集会は大々的に報じている。その中で管理団体側の「撤去には応じない」「県が強制撤去するなら実力で阻止する」などという暴言を、何の批判もなく報じている。署名は北野隆一。

どういう神経をしてるんだ! 朝日は確定判決を無視する管理団体を支持しているかのような報道だ。未だに法律・判決より自社のイデオロギー優先なのか? なぜ朝日は判決に従い群馬の森からの撤去したうえで、他所や他の方法で慰霊を考えるべきだと書かない?

記事に署名している北野は「吉田(清治)証言が否定されても、慰安婦問題全体が『うそ』や『捏造』だったとは言えないということだ」とか「植村氏は語句を間違えただけなのです」とか書いていたヤツだ。
(「朝日新聞記者の慰安婦捏造に関する認識はこの程度」参照)

こんなことをやっているから、ロイタージャーナリズム研究所の「デジタルニュースリポート2022」(ニュースへの信頼度調査)で、朝日は並み居る競合他社を抑え見事「最下位」に輝いている(朝日・毎日・読売・産経・日経・地方紙)。

国民が不要と考えている証左だ。早く廃刊することをお勧めする。


平成9年(1997年)に発生した「神戸連続児童殺傷事件」から25年が経過した。この事件は25年経っても様々な問題を現在に投げかけている。

加害男性(事件当時14歳)は社会復帰し現在39歳になっている。だが、事件と向き合い、真摯に反省しているかは疑問が残る。遺族の了解を得ないまま手記を発表したのは、その表れではないか。それを「自己救済」と言い募る姿に、どれだけの説得力があるのか。遺族が「(出版で)息子は2度された」と語ったのは、ある意味当然だろう。

これだけ社会に与えた影響も大きかった事件を、今後の少年法や更生プログラムの在り方について考える契機にするのは当然のとこと思う。

ところが朝日新聞は6月6日の社説で「社会に衝撃を与えた神戸連続児童殺傷事件から25年になる」としながら、事件や加害男性への言及を避け犯罪被害者への支援問題にすり替える社説を書いた(「犯罪被害支援 『あす』引き寄せるため」)。

朝日らしい本質からの逃げだ。現実逃避と言っても良い。もちろん犯罪被害者支援も重要なことだ。しかし、この25年を考えれば(振り返れば)、少年法や少年犯罪についての議論を避けるのはおかしい。

この事件をきっかけに、少年の刑事罰の対象を16歳以上から14歳以上へと引き下げる少年法改正が行われた。朝日は当時この改正に大反対した。

また、成人年齢の20歳から18歳への引き下げに伴う少年法の改正議論時も、朝日は少年法の年齢引き下げに大反対した。その結果、少年法の適用年齢は20歳が維持され、19・18歳は「特定少年」という訳の分からない位置づけとなった。

成人としての「権利」が与えられながら、当然果たさなければならない「責任」は免除されるという、なんとも甘やかしの法律になった。

朝日はお仲間(いわゆる人権派弁護士とい名の左翼活動家)と一緒になり、つまらない屁理屈を並べ立てた。そこで言っていたのが、少年法の趣旨は「更生なんだから」ということ。

「神戸連続児童殺傷事件」に触れると、どうしても加害男性の「更生」に目を向けねばならなくなる。そして、これは先にも書いたが十分な更生が果たされているとは言いがたい。つまりは、朝日らの主張の是非も問われることになる。

朝日は「少年法」「更生」と「加害男性の現実」から目を背けたのだ。言い変えれば逃げたということ。自ら言ってきた内容や行いについて、振り返り考えることもせずにだ。

朝日の現実逃避をして逃げる姿勢は、過去の「捏造」「悪質印象操作」などを真摯に反省せず、意図的に繰り返す体質となっている。さらには、自らの都合の悪いことには触れない体質は、そのまま「報道しない自由」の乱発に繋がっている。

こんな朝日がまともなメディアであるはずがない。


朝日新聞5月28日の「記者解説」という記事「核心避けた『敵基地攻撃能力』論議 専守防衛の空文化進む」(編集委員・佐藤武嗣)は、朝日新聞がどっちの方向を向いているのかよく分かる記事だ。

佐藤は自分のイデオロギーに基づいた考えを「絶対的正義」と考えているようだ。しかも記事内に印象操作をちりばめ、読者を誘導しようとするどうしようもないものだ。まあ、朝日のコアな読者はそんなことは微塵も感じず、「そうだ、そうだ!」なんだろうが(苦笑)。

まず佐藤の考える「専守防衛」は、先に殴られるまで一切手を出すなということ。だから敵基地攻撃能力のすべてを否定する。そして言うに事欠いて「国内外に説明せず敵基地攻撃能力を着々と築く姿勢」は問題だと書く。

朝日は過去に「(ミサイルが飛んできたら)武力攻撃(を受けた)事態ということになるだろうけど、1発だけなら誤射かもしれない」と書いたほどだから、もしかしたら佐藤も1発は許容しろなのかも(苦笑)。

国内外に説明? 特に国外になぜ説明が必要なのだ? 「家のカギはここに置いてあります(隠してあります)」なんておしゃべりする人がいるか? 佐藤はするのか?

それに、佐藤の言う国外とは中国と韓国・北朝鮮しか念頭にないようだ。記事中で自衛隊が配備を予定しているミサイルなどに触れているが、「これらは北朝鮮や中国内陸部も射程に入り、敵基地攻撃への転用も可能」と書く。

分かりやすく意訳すれば「中国や北朝鮮に届いちゃうじゃないか! とんでもない!」ということ。これがこの記事で佐藤が一番言いたいことだろう。呆れるしかない。

そう言えば、東京新聞の上野実輝彦も防衛相の会見で「中国さまがぁ~!」って質問して笑われていたな。(「東京新聞・上野実輝彦の『中国さまがぁ~!』に唖然」参照)

自国の安全が明らかに侵されようとしている時に、敵基地を攻撃することで安全の確保を図る施策を、多くの国民は理解するだろう。逆に「専守防衛がぁ~!」「1発なら誤射かもしれないだろう!」などと叫ぶことの異常さ。

朝日は新型コロナ対策などで「危機管理は最悪のケースを想定して」などと偉そうに言う。しかし安全保障(国防)に関しては「そんなこと考えるな」と、お得意のダブスタぶりを発揮する。

安全保障能力(国防力)を向上させると、「戦争になる」などと短絡的に考える左翼能が多くの新聞社で記者をやっている。自称記者と言った方がいいかな。ただの活動家だ。そいつらは中国、韓国・北朝鮮目線で記事を書くから「専守防衛の空文化」などとなる。

朝日が批判すればするほど、日本にとって必要なことだということの証明だ。


韓国の元大学教授の裁判(慰安婦を売春婦と呼び、その名誉を毀損した罪)で、正義連(旧挺対協)事務総長・韓敬姫は次のように証言したという。

公権力(日本や旧日本軍)によって強制連行された事例は? に対し、「公権力が物理的に強制連行したことに限定して狭く解釈する必要はない」「日本帝国主義の下で軍慰安所に行った場合は、すべて広い意味の構造的強制とみるべきだ」。

未だに正義連はこんな主張をしているのか? 朝日新聞並みだな。朝日新聞とそのお仲間たちが「強制連行(狭義の強制性)」⇒「広義の強制性」⇒「女性の人権問題」と変遷していくのと同じだ。もう朝日は「女性の人権問題」に移っているのだから、正義連も早く付い行った方がいいぞ。朝日にハシゴを外されるぞ(笑)。

慰安婦を売春婦と言っただけで(基本は正しい)大学はクビになり、刑事被告人にされてしまう韓国。人治国家だからきっと有罪だろう。学問の自由や発言の自由よりも、感情が優先される国だからね。

韓国がここまでなったのも、朝日新聞やそのお仲間たちの影響が大きい(慰安婦問題に関しては)。それほど朝日の罪は重罪だ。それなのに朝日の一連の捏造報道は「国際社会においてあまり影響がなかった」と強硬に主張した朝日第三者委員・林香里は、その論功行賞から朝日に囲われている。

盧泰愚も言っている。「(慰安婦問題は)日本の言論機関がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させた」。しかもその内容は捏造(朝日的には「誤報」)であったのだから、それを訂正するのも朝日の責任である。

朝日は韓国に「ウソを書いてゴメンね」と謝罪しなければいけない立場だ。それなのに「日本が悪い」「安倍元首相が悪い」と未だに書き続ける論説委員の箱田哲也。厚顔無恥にもほどがある。これほどまでに韓国を焚きつけて朝日が得られるものは何か? と考えてしまう。

ははぁ~ん、あの将軍さまの国の利益か?(妄想ですよ)

関連
 「朝日新聞が未だに元慰安婦を『救済しろぉ!』だってさ
 「朝日新聞がここまで韓国をつけ上がらせた
 など。


元朝日新聞・植村隆の話題がツイッターで流れてきた。植村を扱った映画「標的」が上映されるとかいう話で、植村の「この映画は私が捏造記者でないことを証明してくれている」というコメントが載っていた。

何を今さら、往生際の悪いヤツだ。

韓国・挺対協(現正義連)提供のテープのみで記事を書き、しかもそれは金学順の経歴(事実)一切伏せたものだった。「養父と慰安所に行った」を「挺身隊として戦場に『連行』された」と書いた記事に、いかほどの事実が書かれているのか?

後に植村は「連行された」は「連れて行かれた」という意味で書いたと言い訳していたが、「連行」という言葉に含まれれる「強制」を意図していたことは明らかだ。例えば、誰しも「子どもを幼稚園に連れて行く」とは言っても、「幼稚園に連行する」とは、絶対に言わないだろう。

植村も恥ずかしいヤツだが、朝日内にも同様に恥ずかしいヤツは山ほどいる。例えば北野隆一(編集委員)は「吉田(清治)証言が否定されも、慰安婦問題全体が『うそ』や『捏造』だったとは言えないということだ」とか「本人の意思に反して就業した人間がいるのだから強制だ」とか書く(「朝日新聞の慰安婦報道と裁判」2020年)。

そんな北野は「植村氏は語句を間違えただけなのです」とも書く。語句とは「挺身隊」と「慰安婦」のこと。バカらしい。本質から目を逸らせば、朝日や植村の「捏造」が無かったことになるとでも考えているのか?
(「朝日新聞記者の慰安婦捏造に関する認識はこの程度」参照)

植村が「捏造記者」といわれるのは、金学順の「事実」をまったく書かないで、強制を連想させる「連行」と書いたからだ。しかも本人に取材もせず、支援団体の一方的なテープのみで記事を書くことに、記者としての矜持は感じられない。

確かに植村を批判する人たちの中には、行き過ぎた行動や言動もあったと思う。特に家族に対し脅迫まがいの行為などはあってはならいことだ。だからと言って「誹謗中傷」と「批判」をごっちゃにして「言論の自由がぁ~!」は違うと思う。

植村が意図的に書かなかった事実、朝日新聞の貶日思想、北野らのように「植村や朝日は悪くない」と考える現役記者。これらが朝日新聞の体質であり本質である。そして、それがオールドメディアへの忌避感になっている現実。

これらに気付かない植村や朝日のお仲間たちが、擁護すればするほどオールドメディアの終焉を早めるだけのこと。まあ、それはそれで構わないけど。

最後に、植村が櫻井よしこ氏や出版社を訴えていた訴訟の控訴審(札幌高裁)で敗訴した際のコメント。「これは非常に恐ろしい判決です。このような認定では、取材もせずにウソの報道ができるようになります。司法がフェイクニュース、しかも捏造というフェイクニュースを野放しにすることができる」。

本人に取材もしないで、しかも特定の思惑で記事を書いたヤツが何を言ってるんだか。呆れるしかない。当然、この裁判で植村は最高裁で敗訴。同様に西岡力氏らを訴えていた裁判でも最高裁で敗訴。

櫻井氏との裁判の確定判決文中には「金学順氏が日本軍人により強制的に慰安婦にされたと読み取るのが自然である」とある。また、西岡氏との裁判では「植村氏が取材で、女性がだまされて慰安婦になったと聞きながら『日本軍により戦場に連行され、慰安婦にさせられた』と報じた」と認定されている。
(「元朝日新聞・植村隆の敗訴の弁は戯言」参照)

植村は静かに週刊金曜日で反日記事でも書いていたら。なにしろ週刊金曜日には「南京大虐殺捏造」の本多勝一(元編集長、現編集委員)、「NHK番組改変捏造」の本田雅和(編集者)もいることだしね。


朝日新聞が国民民主党の動きに腹を立てているのは分かるが、だからと言って「伝聞」や「勝手な仮定」で社説を書く(批判する)のはメディアとして最低のことだ。朝日には「自分で取材してから書け!」と言いたい。

5月19日の社説「自民と国民民主 連立か否か 態度明確に」がそれ。朝日は今夏の参議院選山形選挙区で「自民が国民の現職を支援する方向で検討に入った『という』」と書く。「という」って伝聞。

また、「(自民党は)国民を取り込もうというの『であれば』」とも。「~であれば」は朝日の勝手な仮定。悪く言えば「妄想」。

そして「態度を明確にしないまま選挙戦に臨む『なら』不誠実きわまる」と、朝日の言いたいことの結論は仮定が前提。伝聞(憶測)や勝手な仮定で相手を批判する。朝日の論説委員って、本当に楽な仕事だ。

取材して証拠やら断定(言い切れる)状況を確認してから書けと言いたい。こんなことばかりやってるから自分の気に入らない相手に対し、証拠もないのに「疑惑がぁ~!」と大騒ぎして恥をかく。そして、この延長線上にあるのが「捏造」「でっち上げ」。これが朝日だ。

朝日が立民を中心とした「野党」で、連立や連合政権を作って欲しいとの願望があるは知っている。それを邪魔するような動きをする国民を批判したいのは、分からないではない。

しかし当然のことではあるが「事実(ファクト)」が総てだ。「事実」なんて言葉は朝日にとっては死語かもしれないが(苦笑)。自信をもって「事実」と言えないのなら、記事を書いてはいけない。ましてや社説だ。

以前から朝日は「伝聞」や「勝手な仮定」で社説を書き、気に入らない人物・団体(組織)を批判してきた。朝日の常套句手段だ。結局は「批判ありき」だからだ。それが朝日お得意の「結論ありき」と相まって、最終的には「ウソ・捏造記事」に繋がっていく。

批判するという結論が決まっているから、事実を結論に合わせるためには「都合良く切り取る」。それでもダメなら「ウソを書く、捏造する」。まだ伝聞や仮定で済んでいる内は、朝日的にはおとなしいのかも知れない。

朝日が自らの体質を改めない限り、これからも平気でウソを書き、平気で捏造もするだろう。それが朝日だから。

関連
 「朝日新聞・坪井ゆづるは『モリカケ』しかネタがない
 「朝日新聞が『勝手な仮定のみ』で批判している
 など。


朝日新聞の5月3日(憲法記念日)の社説「揺らぐ世界秩序と憲法 今こそ平和主義を礎に」は、笑う以外にはない代物だ。それにしても、論説委員連中は「平和になぁ~れ」と願っていれば、平和になると信じている連中の集まりのようだ。

ロシアのウクライナ侵略に対し「独立国が武力で侵され、市民に対する残虐行為が行われている」、東アジアでも「北朝鮮が核・ミサイル開発を続け、中国は力による現状変更もいとわない」と、昨今の国際状況を捉えている。

さすがの朝日でも、現状の世界情勢をこう分析する。この現状分析を踏まえ、朝日はどうしろと言ってるか?

「日本国威憲法が掲げる平和主義を礎にした、粘り強い努力を重ねたい」。

さらには憲法前文(「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」)を持ち出して、「日本一国の安全にとどまらず、国際平和の実現をめざすのが憲法の根本的な精神である」と書く。

つまりは、「憲法(日本国憲法)の精神を尊重」し、ロシアや北朝鮮・中国を相手に「粘り強い努力を重ねよ」と言うことらしい。

何言ってるの? 空理空論にすらなってない。朝日が考える日本の平和に対する「理念」を全世界の国・人々が理解し尊重してくれないと、朝日の言い分は通用しない。

社説内で多少具体的な内容を書いているとすれば「専守防衛に徹しろ」とした上で、「これまでの日本の抑制的な安保政策を一気に転換しようとする試みは容認できない」と続ける。結局は、朝日が言いたいのは、安全保障は具体的には何も変えるな。世界に日本国憲法の理念を広めよ、と言うことらしい。

ロシアの侵略、北朝鮮の核・ミサイル、中国のゴリ押しという分析を踏まえても、朝日は日本の安全保障は何も変えるな! 世界に日本国憲法の理念を広めよ! と言っている。

呆れるしかない。朝日が「憲法原理主義」「9条原理主義」だろうが構わないが、「憲法護って国滅ぶ」に付き合ってられない。それに、この内容(考え)で世界平和(含む日本の平和)が望めるなら、論説主幹の根本清樹はロシアを訪問し、プーチンに「憲法の理念」を説いてきたらどうだ? (北朝鮮や中国も)

まあ、この社説は朝日の「憲法改正は絶対に許さない」との意思表示と考えるのが適切なのだろう。それにしても、もう少しまともなロジックで論を展開できないものかね。


「相変わらずの朝日新聞。珊瑚は大切に」

これは安倍晋三元首相の4月26日のツイート。朝日新聞が「社説余滴」というコラムで、「モリカケ」問題をまた取り上げたことに対する反応ツイート。もちろん、珊瑚を自ら傷つける朝日新聞の「自作自演」捏造記事を揶揄してのこと。そして、未だに自ら捏造した問題を「疑惑だぁ~!」と書くことへの痛烈な皮肉だ。

朝日のコラムを書いた記者にピンと来た。「坪井ゆづる」だな。

そこで朝日デジタルを見に行ったら、案の定だった(苦笑)。「森友問題の4月25日、28日」(4月24日)。ただ、「あれっ?」とも思った。なぜなら坪井は毎年「モリカケ」ネタを執念深く書いているのだが、今までは「1月20日を忘れない」だったからだ。まあ、坪井からすれば何でもいいのだろが。

それにしても「疑惑がぁ~!」と、2018年から毎年書いている。だったら自ら取材して、その疑惑とやらの証拠なり何なりを見つければいいではないか。社屋内で「安倍の疑惑だぁ~!」って書いてれば給料がもらえる新聞記者(論説委員)。楽な仕事だ。机上の空論で飯が喰える典型だな。

自分らに都合の悪い事実は書かないで、都合の良いあやふやな情報(伝聞など)で疑惑を構成する。産経新聞からは「朝日のいつもの手法」(阿比留記者)と言われる始末。

バカ丸出しだ。

そう言えば、籠池氏が計画した小学校名を「安倍晋三記念小学校」などと大ウソ報道したことも、朝日は謝罪してなかったな。未だに「財務省内でそう認識されていたと『思われる』」なんて強弁している。呆れるしかない。

朝日やお仲間たちの「間違いを認めたら死ぬ病」「謝ったら死ぬ病」は、相当悪化しているようだ(嘲笑)。

数々の捏造記事、ウソ記事、悪質印象操作記事、ミスリード記事を反省することなく、相変わらず捏造記事製造に精を出す朝日。早く潰れろ!

最後に、坪井のコラム(社説余滴)を見に行ったら、そのページ(オピニオン)のトップに「林香里」の記事が、林の写真入で出てきたのには笑うしかなかった(「論壇時評」)。

林は慰安婦捏造の朝日第三者委の委員で、「朝日の捏造報道が世界に影響を与えたわけではない」と強硬に主張したベッタリ仲間。この論功行賞で、いまや朝日の執筆陣のひとりに収まっている。数年間空けてからの起用が、朝日としてほとぼりが冷めるのを待っていたことをよく示している。

朝日は新聞気取っているが、事実など書かれていないことは周知のこと。朝日の紙面で、見た瞬間に事実と判断できるのは、その日の日付のみだ。まあ、左翼連中のプロパガンダ紙なので、事実など不要と言うこと。

*「坪井ゆづる」でブログ内検索をしてもらえれば、関連記事がいくつか出てきます。興味があったらどうぞ。


KY事件 (2)
平成元年(1989年)4月20日、朝日新聞夕刊1面に「サンゴ汚したKYってだれだ」という自作自演の捏造記事が載った。

そう4月20日は「朝日新聞KYの日」なのだ。朝日新聞の数々の捏造のうちのひとつだが、朝日新聞の体質をよく表わしている。

記事中で「80年代日本人の記念碑になるに違いない。百年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて」と日本人を蔑む。

捏造が疑われた際、朝日新聞はろくな調査もせず全否定。否定しきれなくなると、元々あったKYをなぞっただけと言い訳。そして、どうにも逃げ切れなくなり、無傷のサンゴに傷をつけたと謝罪。

まさに、朝日新聞の「恥じない、精神の貧しさ、すさんだ心」を見せられた思いだ。

ちなみに、サンゴに傷を付けた本田嘉郎は当然クビになった。しかし「恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の・・・」と日本人を蔑んだ降幡賢一は、謝罪することもなく逃亡。優雅に記者生活を終えたことは、本当に腹立たしいことだ。

朝日新聞はこの「サンゴ事件」にも何ら反省することなく、その後も現在に至るまで捏造・ウソ、悪質印象操作を繰り返している。自らの「恥じない、精神の貧しさ、すさんだ心」を体現している恥ずかしい新聞だ。

朝日新聞の「サンゴ事件」を忘れてはならない。朝日新聞が廃刊になるまで、決して忘れてはならない。


2019年の参議院選の際、安倍首相(当時)の選挙演説を妨害した2人をその場から排除した北海道警の警察官の行為は「表現の自由の侵害」として、札幌地裁は北海道に賠償を命じた。

朝日新聞は3月29日の社説「裁かれた道警 許されぬ憲法の軽視」で、この判決を嬉々として書いている。朝日は相当嬉しいようで、憲法まで持ち出し「表現の自由は民主主義を支える極めて重要な権利だ」と書く。

「表現の自由」を否定する気はまったくない。しかし、この判決はその場にいた大勢の聴衆の「演説を聞く権利」を無視している。他人の権利を侵害する「表現の自由」などないと思うが。

朝日は「為政者に対し、賛意だけでなく批判や異論が向けられるのは当然」と書く。もちろんその通りだ。しかし今回の場合は選挙演説だ。選挙演説はその性格上、往復の議論を前提としていない。政治家(政党)の政策を訴える場だ。

そこで他人の権利を侵害してまで自己主張することまでも「表現の自由」と言うのは行きすぎだと思う。「表現の自由」は無制限ではない。判決は2人の言論が「特定の民族への差別意識を誘発・助長したり犯罪を扇動したりするものではない」としている。つまりはヘイト的なものでなければ「表現の自由」だと言っている。

まさに昨今の朝日に代表される「権利がぁ~!」最優先の考えだ。権利と対になる義務や責任をまったく無視している。自分の権利(安倍批判)が最優先で、他人の権利(演説を静かに聞く権利)に考えが及ばない。及ばないどころか、考えすらしない。

確かに「選挙妨害」の判断は難しい。公選法にその規定がないため「マイクを奪うなどの物理的な行為」がないといけないとする考えから、今回のように「他の聴衆が演説を聴き取れなくする」ことでも選挙後妨害と言えるまで、様々な議論がある。ここは今後のためには明確にしておくべきだと考える。

ところで、朝日はこの判決を社説以外にも多くの記事を書いており、その喜びは相当なもののようだ。ある意味、裁判所が実質的な「選挙妨害」行為にお墨付きを与えたことになるからだ。対象が安倍首相(当時)の演説だから尚更だ。

しかし、実はこれが朝日の浅はかなところだ。じゃあ、枝野や志位の演説で同様のことが起こったら、朝日はどう考えるだろうか?

当然、受け入れなくてはならない。枝野や志位の演説に対し同様のことを行っても「表現の自由」だということ。朝日やお仲間のようなダブスタ連中は「選挙妨害だぁ~!」「民主主義が壊される~!」などと言いそうだが、もちろん言ってはいけない。

でも朝日は言うと思うぞ。だって、それが朝日だから。

*本判決は地裁レベルの判断で確定したわけではない。北海道警は控訴しており上位審の結果により変更されることもある。


3月22日に東京電力・東北電力管内で、電力需給逼迫警報が出た。16日に発生した福島県沖を震源とする地震(M7.6、最大震度6強)の影響で火力発電所が稼働できなくなったところに、寒波(悪天)の影響が重なり電力需要が増えたことが原因。

東日本大震災以来原発が停止しており(東電管内)、それを老朽化した火力発電をフル稼働させて補ってきた。早晩、こういうことが起きることは大いに予想されていたこと。さらに言えば、悪天だと太陽光発電など何の役にも立たないことが証明されたとも言える。

幸い停電になることはなかったが、この先の電力需給の在り方について考える良い機会になった。こういうことは、これからも繰り返されるだろう。だから今のうちに、対策を講じなければならないのは言うまでもない。

早速、朝日新聞が3月24日に社説「電力の逼迫 抜本的な備えの強化を」で見解を書いている。ただ内容は「ゼロ」、見事なまでに空っぽ。よくもまあ、こんな中身のないものを社説として載せたなあというレベル。

社説の半分以上は政府と東電を批判するもの。「初動が遅い」「見通しが甘い」とか。そして何を対策として言うかと思ったら「需給状況を見える化し、節電などに幅広い参加を促してバランスを図ること」だとさ。つまりは、節電で乗り切れ! と言っている。そして、長期的には太陽光を! 風力と組み合わせればOKだってさ。

バッカじゃないの? としか言えない。

今回の教訓は「太陽光なんて何の役にも立たない」だろう。現在メイン電源となっている火力が停まれば、もうアウトという現実が浮彫りになった。安定的に電力を供給するためには、安全性が確認された原発を即刻稼働させること。これに尽きる。東電管内では柏崎刈羽の6号機・7号機。東北電力管内では女川2号機。

反原発原理主義の朝日は社説最後をこう締めくくっている。「目先の需給と直結させて(原発再稼働を)議論すべきではない」。

これは明らかな間違いだ。この「目先の需給」が重要なのだ。一般家庭もさることながら、本当に電力の安定供給を求めているのは産業界だ。そうでなくてもコロナ禍で経済が冷え切っているところに、停電などとんでもないことだ。

朝日などの左派勢は、コロナ対策で政府批判をする中で、盛んに「危機管理がなってない。最悪のケースを想定するのが危機管理だ!」などと言っていた。ところが、こういう電力逼迫に関しては「目先の議論はするな」と言う。安定のダブスタだ。

ついでに言うと、もうひとつ安定のダブスタが防衛関係だ。「憲法9条があれば平和が保たれる」とか妄想を言っている。そこに危機管理という言葉など存在しないかのようだ(苦笑)。

話を戻すと、今こそ原発再稼働を議論すべきなのだ。そして安全が確認されている(新規基準に合格)原発は稼働させるべきだ。何があっても停電させないが、左派勢が言う「最悪のケースを想定するのが危機管理」。自分らの言い分を自分らで否定するな!

ただ、「最悪のケースを想定するのが危機管理」は間違っているけどね。「現実的な最悪のケースを想定するのが危機管理」と言うべきなのだ。例えば「総ての発電所が停止」や「全国民(1億2千万人)がコロナ感染」が最悪のケースだが、この想定に意味がないことは明らかだろう。

今回の電力逼迫に関して言えば、危機管理として想定しなければいけないことは「停電になる可能」だ。その前段として電力ミックス、自然災害、天候、季節要因も含めた電力需要など。これらの想定でも、現実として必要なのは朝日の言う「目先の議論」になる。

だから朝日は自分らの言う危機管理としても間違っているし、現実的な危機管理としても間違っている。


東日本大震災から11年の3月11日、朝日新聞は「東日本大震災から11年 福島の復興進めるためには」との社説を載せた。

結論から先に言えば「朝日新聞が事実を書けばいい」。これだけのことだ。

朝日は自身の主義・主張のため福島を利用してきた。福島の復興など二の次と考えているとしか思えない論調。と言うか、捏造・ウソ・印象操作記事の数々。昨年は若手記者に「コスプレ」までさせて、印象操作記事を書いていた。
(「朝日新聞が福島復興の足をまた引っ張ってる」参照)

社説の中では「処理水」と書いているが、つい最近まで「処理済み汚染水」と悪意丸出しの表現だった。その「処理水」の海洋放出について朝日は「風評被害がぁ~!」と書く。

また朝日は「処理水」に対する科学的見解を一切明確にしない。朝日が「処理水」を科学的に問題だと思うなら、そう書けば良い。しかし一切書かない。朝日は「処理水の海洋放出」が科学的に問題ないことが良く分かっているのだ。

メディアの役割として「科学的に一切問題ないから、悪風評を流布することは慎むべきだ」と書き、啓蒙しなければならい。ところが、逆の方向(風評被害を煽る)に誘導するかのような論調ばかりだ。
(「朝日新聞は福島第一原発の『処理水』を科学的にどう考えているのか?」「朝日新聞は福島への風評被害を煽るのをやめろ!」参照)

そんな朝日が「福島の復興進めるためには」と社説で何を書いているか? 実はなにも書いていない。見事なノープラン。じゃあ何を書いているかと言うと、「処理水がぁ~!」と「廃炉がぁ~!」だけ。

なんと失礼な新聞なんだ。相変わらず福島を使って、自身の「反原発イデオロギー」を垂れ流しているだけ。朝日が反原発原理主義でも何でもいいけど、福島を利用するのはやめろ! と強く言いたい。

先にも書いたが「福島の復興進めるためには?」「朝日新聞が事実を書けばいい」。これに尽きる!


朝日新聞(デジタル)が「キエフ滞在の慶応大生、地下駐車場に避難して涙『一睡もしてません』」との記事を掲載(2月25日)。しかし、この慶大生はロシアのウクライナ侵攻前日に首都・キエフに入っており、朝日が報じた内容とは大きく乖離していることを書いた。
(「朝日新聞・斉藤佑介が書く『キエフの慶大生』の実像」参照)

この記事を「オススメ記事」としてツイッターで紹介したのが朝日新聞編集長補佐・野沢哲也。野沢はコメントとして「ロシア軍の侵攻で身の危険が迫るなか、キエフで助けを求めている日本人大学生が取材に応じてくださいました。国際交流を兼ねた勉学の機会なのに、どうしてこんな目に遭わなくてはいけないのでしょう。大使館を含め、一刻も早く救出の手が届くことを願います」だそうだ。

野沢は慶大生の素性が記事のイメージとは違うことを知らなかったと思うので、その時点でのコメントはしょうがないだろう。しかし、現在では慶大生の実像はバレているにもかかわらず、知らんぷりをしている。ツイートもそのままだ。

野沢が何がしかの訂正を入れれば、斉藤の記事が「捏造」に近いものだと認めることになるので、言うに言えないのだろう。しかし「野沢よ、それでいいのか?」と問いたい。

野沢のツイッターのプロフには「ジャーナリズムが好きです」と書かれている。こんな読者を欺すような記事を書くのが「ジャーナリズム」なのか? 野沢の考える「ジャーナリズム」って、どういうものなのか?

それに、こんな記事でカネを取っていることに良心は痛まないのか? 編集長補佐という立場からも「それでいいのか?」。


朝日新聞(デジタル)に「キエフ滞在の慶応大生、地下駐車場に避難して涙『一睡もしてません』」との記事が載った(2月25日)。署名は斉藤佑介。

内容はロシアの侵攻により戦争状態になっているウクライナの首都・キエフに滞在している慶大生(20歳、記事内では実名)の状況を伝えるもの。慶大生は「もう何が何だか分からず、辛いです。こんなに枯れた涙が流れたことはありません」と、キエフの地下駐車場に避難している様子などを話している。

朝日新聞によると、慶大生は今年1月末から留学しキエフで学び始めた矢先に戦火に巻き込まれたという。普通に考えれば「それは災難だったな。早く安全に退避し帰国できることを願う」となるのだろうが、実はちょっと違うのだ。

この慶大生はロシアのウクライナ侵攻前日に、わざわざポーランドからキエフに移動しているのだ。日本の外務省がウクライナ全土の危険情報をレベル4に引き上げてた上で退避勧告をした後のことだ。

実はこの慶大生は移動前に「今日から荷物を全て移し、これから再び異国の地のキエフで死なない程度に挑戦を続けます」とツイートしているのだ(すでに削除)。つまりは確信犯(本来の意味ではなく通俗的な意味での)。

慶大生がキエフに移動した意図は不明だが(特定の意図を持っていたと考えるのが普通)、朝日が印象操作するような「悲劇の留学生」ではない。

筆者の斉藤佑介は社会部の記者だ。国際報道部でもなければモスクワ支局などの海外支局の記者でもない。ではなぜキエフに滞在している慶大生の記事が書けたかと言うと、慶大生のSNSを見つけアプローチした結果なのだ。

一般人のSNSにアプローチし取材協力をお願いし、その内容を記事にするもの。記者が自ら取材することなく、安易に(言い換えれば楽をして)記事化できるので、最近非常に多くなっている。

慶大生のSNSを見つけ、安易に取材依頼したら「OK」が出たので、そのまま記事化したと思われる。この手法は当人の言い分を信用するしかない。つまり当人の一方的な言い分に依存することから、非常に危険な手法だと個人的には思っている。今回のように事情の分からない海外のこととなると尚更だ。

この慶大生は自ら戦争直前のキエフに行き、戦闘が始まったら直ぐに「辛いです。こんなに枯れた涙が流れたことはありません」などと臆面もなくツイートするような人物だ。斉藤はこの慶大生が、自らの意思で戦争直前のキエフに行ったことを知っていたのだろうか?

知らないで記事化したのなら、慶大生の思惑に利用されたということ。しかし知っていてこういう記事にしたのだとするなら、悪質な印象操作でありミスリードだ。捏造と言ってもいいだろう。

斉藤は慶大生がキエフにいつから居るのかを明確に書いていない。非常に曖昧に書いていることから考えると・・・だが。まあ知ってか知らでか、いずれにせよバカ丸出しだしで記者失格だ!

SNS上ではこの慶大生の行動がすでに批判されている。慶大生も「私の軽率な行動によりご迷惑をおかけした大学関係者、外務省、大使館の皆様、並びに不快な思いをされた方々には心から謝罪いたします。大変申し訳ありませんでした。今後このようなことがないよう深く反省し、然るべき対応をいたします」と、謝罪ツイートをしている(2月26日)。

記事の翌日には、慶大生はこのような謝罪をしなければいけないほど批判されていたのだ(慶大生はもちろんすでにキエフを離れている)。

慶大生が言う「然るべき対応」が何を指しているのか分からないが、斉藤及び朝日も「然るべき対応」をとる必要があるだろう。ところが3月1日現在知らんぷりだ。

「慰安婦捏造」を30年以上知らんぷりし、「100円ラーメン捏造」は現在も「知らんぷり」を続け30年以上経った。これらを考えれば、お得意の何もしない「知らんぷり作戦」でやり過ごすのだろう(苦笑)。
(100円ラーメン捏造は「朝日新聞の『100円ラーメン』捏造記事」参照)


朝日新聞2月2日の社説「NHK虚偽字幕 鈍い対応、深まる不信」を読み、「相変わらずだなぁ」の感想しか出てこない。

NHKがBSで放送した東京五輪関連の番組で、「五輪反対デモに参加しているという男性」「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」との字幕をつけた問題で、NHKを大批判している。

さらにはNHKを批判する社説内に、直接的には関係のないMXテレビの「ニュース女子」の件まで持ち出し、併せて批判している(沖縄の反基地運動)。

慰安婦捏造を30年以上とぼけた挙げ句、お仲間を集めて大甘見解を出させ終りにした朝日。それ以降も、当たり前のように捏造・ウソ記事、悪質印象操作を繰り返す朝日。そんな朝日が他社を批判する厚顔ぶり。

それにしても、朝日は他社を批判するときは本当に元気がいい。思わず笑ってしまった。

それでも朝日が報道の正確性やその後の再発防止などを目的としてNHKやMXテレビを批判しているのならまだましだが、実はそうではないのは明らかだ。自分らの報道姿勢と逆の内容の虚偽だから批判しているだけのこと。

過去にTBS(サンモニ)が故石原慎太郎東京都知事(当時)の「日韓併合を100%正当化するつもりはないが」を「100%正当化するつもりだ」と真逆のテロップを付けたことがあった。

これは元の音声をいじるわ、発言が聞きづらかったなどと言い繕うわ、本当に悪質なものだ。TBSはまともに反省すらせず、同番組で未だに悪質な偏向放送をしている。これを朝日はどれだけ批判したか? まったく批判しなかった。それはTBSの捏造は朝日にとって都合の良い捏造だったからだ。

朝日にNHKやMXテレビを批判する資格がないことは明らかだ。自分の慰安婦捏造を始めとした数々の不祥事を棚に上げ、しかも同じ虚偽報道でも内容よって批判したりしなかったりする。

そんなご都合主義な連中が、他社を批判するなど10,000年早いぞ。


朝日新聞は中国のウイグル族など少数民族への人権侵害など興味がない。日ごろの「人権がぁ~!」など、どこに行ったのか不思議なくらいだ。そんな朝日新聞に「中国の人権 なぜ出国を認めぬのか」という社説が載った(1月24日)。

ウイグル族などへの人権侵害のことだとしたら変なタイトルだなと思ったが、案の定まったく関係のない内容だった。中国の活動家(朝日は人権派の元弁護士と民主活動家と書く)の人権問題の話だった。

元弁護士は娘が日本で入院中、活動家は妻が米国でがんと判明。いずれも出国が許されず、元弁護士は行方不明(当局に拘束されているらしい)、活動家の妻は米国で死去した。朝日は言う「そこまで市民の権利と自由を踏みにじるのか。暮らしを縛り、人々の言葉を奪おうとする。そんな理不尽な行為がこれ以上許されてはならない」。

中国国民個々の人権問題を否定する気はまったくないが、現時点での中国の大きな人権問題は少数民族への迫害ではないのか。他国の報道機関では「ジェノサイド(大量虐殺)」と報じているところもあるのに。

朝日は少数民族への人権侵害(迫害)よりも、反体制活動家の人権の方が重要だと考えているのだろうか? 朝日のスタンスをよ良く表わしている。活動家仲間だからだろう(苦笑)。

朝日も大好きな国際人権団体アムネスティ・インターナショナルは、中国政府が人道に対する罪を犯しているとする報告書を公表している(2021年)。その中で、ウイグル族やカザフ族などイスラム教徒の少数民族に対し集団拘束や監視・拷問をしていたとする。

朝日がなぜこの時期に中国活動家の人権問題を持ち出したのか考えると、アリバイ作りとしか思えない。2月4日から北京で冬季五輪が開催される。米国を中心に少数民族への迫害を理由に「外交的ボイコット」などのプレッシャーを中国にかけている(日本政府の弱腰は論外だが)。

朝日は「うちも中国の人権問題を批判してるんだよ」と言いたいだけ。社説中に出てくる活動家の人権を軽んじる気はもうとうないが、「ジェノサイド」とはレベルが違う。

朝日は中国さまに目を付けられない程度の上部(うわべ)の人権批判でお茶を濁したと言うこと。これで形ばかりの中国人権批判もしたので、後は北京冬季五輪を思いっきり持上げるぞってこと。早速、編集局長補佐だという野沢哲也は「北京五輪まであと1週間」「あと4日」と、待ちきれないとばかりウキウキツイートしている。

呆れるばかりだ。


沖縄県名護市長選で現職の渡具知武豊氏が、米軍・普天間基地の辺野古移設反対を訴えた新顔を破って再選された。この結果に対し、朝日新聞がいつもの通り民意無視の呆れた社説を書いている。1月25日の「名護市長選 移設容認と短絡するな」。

朝日が自分の思惑と異なる結果を認めようとしないのはいつものことだ。そして、そこに並ぶ屁理屈と言いがかりとしか言えない論調の数々。

朝日が選挙結果を認めないときに持ち出す「自社の世論調査結果」「争点隠し」「低投票率」が、またまた出てきた(苦笑)。安倍政権下での国政選挙で、自民党が勝利するたびに朝日が書いて来た内容だ。

最近はこれにプラスして「選挙制度が悪い」が追加されているが、今回は地方選のため入れられない。それにしてもバカな連中だな。

【自社の世論調査結果と違う】
「直前の世論調査で移設反対が54%と過半数を占め、賛成の24%を上回った。一方、投票先の決定で最も重視することは、地域振興策が50%と最も多く、移設問題は30%にとどまった」

【争点隠し】
「渡具知氏は初当選した4年前の選挙の時から、一貫して移設への賛否を明らかにしていない」

【低投票率】
「投票率は前回を8ポイント余り下回る68.32%と、過去最低だった」

そして、勝手な仮定(「有権者が意義を見いだせなくなれば」)や推定(「せめて実利をと考える有権者もいたことだろう」)を持ち出し、「民主主義の土台は危うくなる」と論じる厚顔さ。

こんなことでも書いていないと精神状態が保てない論説委員連中。こういうのを「現実逃避」と言う。それにしても毎回々々、芸がない連中だな。バカなことを書くにしても、少しは新しい屁理屈でも考えろと言いたい。

知事選で玉城デニーが勝ったとき(2018年)や県議選でオール沖縄が過半数を制したとき(2020年)などは「これが民意だぁ!」と鼻息荒く書いていたのに、逆の結果となると途端に屁理屈を捏ねまくり認めない。

当たり前のことだが、どちらも「民意」だ。その「民意」を認めた上で行政の在り方や課題を論じるのがメディアの役割だと思う。「自分たちの考える結果こそがすべてだ」という傲慢な態度は、ただの活動家でしかない。

そんなことにも気付かず、ジャーナリズムを名乗る恥ずかしさ。まあ、連中には恥という概念がないからね。

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