蓮舫の3月12日のツイート。
「(高齢者への新型コロナ対策として)学校一斉休業なみの高齢者の命を守る政策を取るべきです」

おやおや、ついこの間まで小中高への休校要請に対し「こんな滅茶苦茶なリーダーシップはない。すぐ撤回すべき」「あまりにも場当たり過ぎる。あり得ない」と口汚く批判していたのは誰だ。国会でも「科学的根拠を出せ」となんとかのひとつ覚えのように繰り返していたのは誰だ。

結局は、その場その場のネタで批判しているに過ぎない、ただのいちゃもん屋。高齢者対策が出れば出たで、批判だけして次のネタに移るだけだろう。つまりは、蓮舫には政策に関して何の立案能力も、その素養もないと言うこと。批判が一番簡単なことだから

これは蓮舫に限ったことではなく、立憲民主党議員に共通することだ。イチャモン屋は過去の自分の言動をまったく気にしない。なんでも批判しかできないから、覚えてないのだろう。自分の発言に責任を持てないヤツらが、どうして国のあり方や行く末に責任を持てるだろうか?

桜を見る会批判にしても、最初連中は何を批判していた? 安倍首相の後援会員が多数参加していたことを批判していた。鳩山内閣の時もそうだし、中止になったが野田内閣時には旧民主党が後援会員を呼べと通達まで出していたことがバレると次のネタへ。

反社関係者が出席していたと批判を始めたら、鳩山内閣時に既に参加してしたことがバレ次のネタへ。前夜祭の会費5000円は安すぎるとと批判を始めたが、これもガソプーがもっと安くやっていたことがバレると次のネタへ。こういうことの繰り返し。しかも、その批判にウソ・デタラメまで盛り込み、バレても認めない見苦しさ。

政策で政府・与党に対抗する気はまったくなく(と言うか政策がないのだが)、楽な批判パファーマンスで目立つことしか考えない。

批判することのすべてが悪いと言う気はない。批判からより良い方向へ向かうこともある。そのためには、批判すると同時に自分たちならこうすると言わねばならない。政策提言(対案)が必要だと言うこと。

ところが、その政策提言がないから何を生み出そうとしているのか、さっぱり分からない。だから批判のための批判と言われる。さらには、その批判も言葉尻を捉えた揚げ足取りでしかなく、はっきり言えば批判にもなっていない。

だからイチャモン屋だと言うのだ。