朝日新聞が参院選の「一票の格差」3.0倍を高裁レベルが概ね許容(合憲)したことに反発している。12月7日の社説「参院定数判決 政治の怠慢を許すのか」がそれ。

「格差3倍とは3分の1の価値しかない投票権をもつ人がいることを意味する」などと、尤もらしいことを書く。これはこれで否定しないが、じゃあ原則論に従い1.0倍にしろというのか? そうしようとしたら、東京は30議席、四国地方全体で2議席とか、中国地方全体で6議席になるかも(厳密に計算したわけではない。あくまでイメージ)。

これでいいのか? という議論も当然起る。「3.0倍なんてけしからん」もいいけど、朝日はどうしたいのか? 何も言わない。2倍ならいいのか? 2倍だって、価値は半分だぞ。

なんとなく原則論を言い批判する。でも「じゃあ、どうする?」は言わない。全議席を全国比例代表にする? その時の政治の安定性はどうする? 安定性よりも一票の平等性を重視する? 選挙区が広すぎて、過去の全国区が銭酷区と呼ばれたみたいになるけど? じゃあ、道州制にする? など、様々な議論が出てくる。

こういうことを喚起しないで、批判だけしてもまったく意味はない。朝日お得意の批判のための批判でしかない。そして、判決批判を装いながら、結局は政府・自民党批判に話は流れていく。朝日が言いたいのはここだろうな。批判できれば何でもいい。

当然考えなければならないのは、首都圏などの大都市圏に人口が集中する問題だろう。経済活動や利便性を考えれば、ある意味当然と言える。これを地方への移動性をどう促進していくかを考えずに、定数問題だけを論じることに意味はない。

また参院の役割も考慮しない議論も意味はない。

アメリカ上院の格差は約70倍。各州人口に関係なく定数2。上院は各々の州民全体の意見を代弁させるとの考えだ。憲法規定でOKになっているので、反対者はいるだろうが揉めはしない。

だから参院の3倍なんて許容されると言うわけではないが、参院の役割も各県全体の代表との考えなのだから同じではないか。自民党が一時言っていた憲法に書いちゃえは、ここから来ている(と思う)。ひとつの考え方ではある。

つまりは定数問題(格差)は、特定地域への集中問題があり、その解決なしに議論しても意味がないと言うこと。先に書いたように、東京30議席、四国全体で2議席でもいいのか? それでも良ければ1.0倍にすればいい。朝日はそれでもいいんだな。

選挙のたびに提訴する特定弁護士連中もそうだが、究極の平等の先に何を求めているのか。それは共産主義かな。共産主義が理想の平等社会だなんて考えているとしたら、それこそ世間離れすぎる。