あいちトリエンナーレが閉幕した。いろいろ議論を醸した「表現の不自由展・その後」は、朝日新聞のダブスタ・身勝手さ・傲慢さなどをさらけ出しただけだった。

ダブスタ・身勝手・傲慢などは、今に始まったことではないけど、今回は余りに酷かった。過去の「表現の自由」に関する社説での言及との整合性などお構いなし。侮日・反日なら「表現の自由は無制限」みたいな言い分に終始。

特に10月16日の社説「あいち芸術祭 閉幕後も山積する課題」での、「明らかにそれ(定義づけてきたヘイト)に当たらない作品をヘイトと指弾することは、自分が気に食わないから取り締まれと言うだけの暴論でしかない」は看過できない。

つまり今回の各展示は「何の問題もない表現の自由」と結論づけたと言うこと。日ごろの朝日新聞の売りである「(過度な)人権擁護」をも捨て去る勢いだ。

今回の種々の作品でないがしろにされた「人権」は、朝日新聞によってさらに傷つけられた。朝日は逆に「傷つけられた表現の自由」などと言い募る(9月27日社説「あいち芸術祭 萎縮を招く異様な圧力」)。呆れるばかりだ。

さらには、作品により誹謗中傷され「名誉毀損」された人々には目も向けない。朝日の「人権がぁ~!」は、結局は自社都合でしかないと言うこと。侮日・反日のためには何でもあり。これが逆の展示(例えば韓国や中国からみ)だったら、朝日がどんな対応だったかは想像に難くない。

まあ、朝日は言論機関でも何でもなく、ただの左翼プロパガンダ紙でしかないが、身勝手に「ヘイト」を定義づけるのは絶対に許されない。今回の作品(の一部)が、何をもって「ヘイト」でないのか。

朝日も過去に「無分別な表現は、個人や集団、民族などの名誉や尊厳を傷つける『暴力』にもなりえる」と書いている。これと今回の展示の数々は、何がどう違うのか? 明らかに「個人や集団、民族などの名誉や尊厳を傷つける暴力」(つまりヘイト)だろうが。

朝日が乱発する悪意あるウソ記事・捏造記事が「表現(報道)の自由」として通っている現状こそ「表現の自由が傷つけられた」ではないのか? 結局は、侮日・反日のためなら「表現の自由は無制限」と言う朝日こそ、「表現の自由」を傷つけている張本人だと言うこと。

今回の展示に関する抗議を「自分が気に食わないから取り締まれと言うだけの暴論でしかない」と言う朝日は、保守派言論人がどんなに暴力的で脅迫的な抗議を受けても気にも留めない。もちろん報道しない。これも朝日から言わせれば「表現の自由」(表現・報道しない自由)なのだろう。

それも当然。朝日にしてみれば、何より重要なのは「侮日・反日」だから。その上に「朝日にとって都合が良いか悪いかが判断基準」なのだから始末に負えない。