朝日新聞の「何でも反対・何でも批判」は無責任なオールドメディアの象徴のようなものだが、9月17日の社説「NSC局長交代 『首相主導』を過ちなく」は、朝日の体質をよく表わしている。

国家安全保障会議(NSC)の事務局である国家安全保障局(NSS)の新局長に北村滋前内閣情報官が就任したことを、任命者の安倍首相ともども批判している。しかもその批判は朝日の勝手な妄想に基づくもので、批判のための批判でしかない。それ以下かな。

「首相官邸の関与をより強化する狙いがあるの『かもしれない』」「首相が気に入る情報ばかりが上がってくるようになったり『すれば』本末転倒だ」

「~かもしれない」「~(だと)すれば」と仮定の話を連発して批判する朝日。

朝日の得意技と言ってしまえばそうなんだけど・・・。また、「懸念も指摘される」とも書くが、誰が指摘してるんだ? 主語を隠して(と言うか、朝日自身だろうけど)書くのも同じだ。

安倍首相の思惑などは、きちんと取材すればいいだけのこと。取材もせずに「~かもしれない」と勝手に書くことは、朝日が嫌いな「忖度」と変わらないと思うぞ。

また北村新局長に関しても、その働きぶりや実績(含む失敗)などを見てから、朝日のお気に召さないことがあるなら批判すればいい。まあ、何があってもなくても批判するだろうが(苦笑)。

事実に基づいた批判や論調は各社の自由だが、自分勝手に「仮定」し、それに基づき批判・評価する手法は、メディアにとって自殺行為だと思う。これをやったら何でもありになる。

朝日は過去からこうやって世論を誘導するなどと傲慢な考えを持ってきた。いまだに紙面で実践中だし、TVメディアで口に出しているヤツまでいる。とある編集委員が「世論をコントロールする」という表現で話していた。

結局はこういう「批判ありき」の方針が、「結論ありき」と相まって「ウソ・捏造記事」連発に繋がっている。結論が決まっているから、事実を結論にあわせるため都合の良いところだけ切り貼る。事実が合わなければねじ曲げる(捏造する)。

「角度をつける」のもダメなのに、それを通り越して「捏造」する。しかも、これを繰り返し大きな批判に晒されているにもかかわらず、論説委員連中は懲りていないようだ。捏造してでも批判することが「正義」と考えているらしく、こういう歪んだ精神が「モリカケ」などに繋がっている。

気持ち悪いと同時に本当に恐ろしいことだ。朝日は潰れるまで変わらないだろう。と言うことで潰れてくださいな。