朝日新聞の安倍首相嫌いと天皇・皇室嫌いは今に始まったことではないが、ここまでの「いちゃもん」社説もないものだ。11月14日の社説「来春の10連休 国民の声届いているか」がそれ。

皇太子殿下が即位される来年の5月1日を祝日にすることが閣議決定されたことを受け、難癖を付けての政府批判。

新天皇の即位を「国民がこぞってことほぐ中で、つつがなく行われるようにする」との政府声明を、「こぞって」と言うのは「人々に祝意を強制する」だ! というバカな物言い。そりゃ、朝日新聞や共産党・社民党、立憲民主党の一部は祝福しないだろうが、ほとんどの国民は祝福するだろう。

5月1日が祝日になると10連中になる。すると、「様々な事情から頭を抱えている人が大勢いる」とも。10連中で困ると言う人もいるだろうが、大勢だろうか? 朝日新聞の「大勢」の定義は?

さらには、「ふつうの人々の懸念や戸惑いは、ここでも置き去りにされたままだ」になると、朝日新聞は自らやシンパ連中を「普通の人々」と考えていることに唖然とする。

朝日新聞が「普通」だったら、現在の日本の繁栄はなかったろう。旧ソ連や中国のような暗黒国家だ。朝日新聞の言い分とはまったく逆の施策を続けてきたからこそ、現在の日本はある。これは誰にも否定できない現実だ。

今回の新天皇即位に関する諸施策で、不便・不利益を被る人もいるだろう。そういう事例を引き合いに朝日新聞は煽るが、その人達の心情には無関心だ。十把一絡げに「弱者」扱いをする。

朝日新聞は「弱者」に寄り添う振りをするために「弱者」を作り上げる。でも、その「弱者」は安倍首相・政府、自民党を批判するための道具でしかない。だから「旬」が過ぎれば捨てられる運命にある。

来年、滞りなく新天皇が即位された後、朝日新聞が一連の施策による不利益を検証することは絶対にない。「旬」が過ぎれば「弱者」扱いした人のことなど頭から無くなるからだ。その頃には、もう新しい「弱者」が作り上げられているだろう。これを延々と繰り返す朝日新聞。

朝日新聞は即位に関する一連の諸行事をどういう日程で設定でしても、何かと難癖を付けて政府を批判しただろう。その時は違う「弱者」が作られていたはずだ。

例えば、12月31日退位・1月1日即位なら、年末・年始はただでさえ慌ただしく忙しいのに的な論調。3月31日退位・4月1日即位なら、統一地方選の準備で役所が忙しいうえに、新生活の始まり(新社会人・新入社員、転勤での引っ越しなど)で慌ただしいのに的な論調。見え見えだ。

じゃあ、朝日新聞は「ふつうの人々の懸念や戸惑が置き去りにされない」日程を提案してみろと言いたい。できやしまいし、する気もないだろう。それは「弱者」救済が目的ではなく、政府批判が目的だからだ。

100人が100人とも満足する施策など、現実的にない。必ず反対者・否定者はいるものだ。それが分かっているくせに、少数者を「弱者」設定する朝日新聞。自分たちだって社内で同じこと(最多数の案を採用や多数決)をしているくせに。じゃあ、社内でも少数者(弱者)の懸念や戸惑いがどうのこうの言うのか?

バカな新聞だな。