朝日新聞を表す言葉として「反日」「国賊」「捏造・ウソ新聞」「偏向」など、いくつもの適切な表現がある。そんな朝日新聞も、終戦(昭和20年8月:1945年)後1ヶ月まではまともな記事を書いていた。

朝日新聞は戦前・戦中は戦意を煽るような記事を先頭になって書いていた。例えば、敗色戦濃厚の8月14日には
「原爆投下などの暴虐に対する機は、国民の胸底の燃える信念が火の玉となって炸裂するときにある(要約)」
現在の北朝鮮の新聞かと思うような内容だ。

8月16日は
「国土は占領されても、魂は占領されない」
「特攻魂に端的に現われた七生報国の烈々たる気魄は、我々がこれを祖先より受継いだものであるが、これは永劫に子孫に伝へねばならぬ」
まだまだ勇ましいことを書いている。

そんな朝日新聞だから、戦後まもなくの8月末から9月中旬にかけても、
「(戦争責任は)特定の人々に帰すべきではなく、1億国民がともに負うべきものだ」
「米国は原爆を投下して無数の人々を殺傷した。明かな戦争犯罪だ。米国は責任を自覚すべきだ」
「(日本軍がマニラで市民を虐殺したといわれることに対して)余りにも荒唐無稽。きちんと検証すべきだ」
と、日本の言うべきことは言う、とのスタンスが読み取れる記事を書いている。

ところが、このような記事に対して、GHQが朝日新聞に2日間の発禁処分を下した。さらに「これ以上やったら廃刊にするぞ」。

これにビビった朝日新聞は、発禁明け一転して
「負けを承知で国民を戦争の渦中に投じた我が国指導者の責任は糾弾されるべきだ」
とGHQの意向に沿った社説を書いている。

新聞社としての意地も矜持もない変質。GHQに脅かされ、あっという間に転向した朝日新聞。こういうヘタレだから、社内で共産革命が起き(朝日10月革命)、11月7日の有名な「国民と共に立たん」声明をだし、赤新聞となり果てた。

以降、親中・親北、親ソまっしぐら。韓国に対しても、反朴正煕・親金大中路線で、反韓メディアと韓国人から呼ばれていたくらいだ。しかし、韓国が様々な日本批判を始めると、一転して何でも韓国擁護に転向。

つまり、日本を批判できるものなら何でも擁護するという、ある意味無節操な新聞なのだ。

だから、日本批判・政府批判ができれば何にでも飛びつく。でも、そのほとんどが飛びついてみたものの、後で痛い目に遭っていることを忘れない方がいいと思うぞ。