朝日新聞5月12日の社説余滴「市民に向けられた銃口」は、朝日新聞が現状認識ができていないことを、見事なまでに露呈している。執筆者は論説副主幹の前田史郎。

「市民に向けられた銃口」なんてタイトルなので、何について書いているのかと見れば、「赤報隊」事件のことだった。前田のいう「市民」とは朝日新聞の記者のことだった。

まあ、それはそれとして。このコラムは、前田や朝日新聞自身が現状認識ができていなことを良く表している。

確かに赤報隊事件のように、気に入らない言論を暴力を以て制限しようとすることは許されない。しかし、この事件を朝日新聞が都合良く使っていることも、また事実である。

前田は言う。「記者が真実に迫るのは、国民の知る権利に応えるためだ」でも、朝日新聞が国民の知る権利を逆に侵害している事実を前田は意図的に隠している。朝日新聞が事実を事実して報道していないことは既にばれてしまった。

前田は続けて言う。「多様な価値を認め合う民主主義社会の土台を守る必要性を今ほど
感じることはない」この言葉は、そのまま朝日新聞にお返ししよう。

朝日新聞は最近「多様性」という言葉を連発する。しかし、朝日新聞が「多様性」を持つ記事を書くことはない。化石のような左翼思想をちりばめた、一方的なプロパガンダのようなものばかり。

で、最後には「いま、社会は右傾化がすすむ」。これさえ言っておけば、すべてが解決するかのような、朝日新聞的魔法の言葉だ(苦笑)。これって、裏を返せば朝日新聞の主張が受け入れられなくなっていることを、誤魔化しているだけだ。

なぜ朝日新聞が国民の信用を失い、受け入れられなくなってきたかは明らかである。

ネットなどの普及により、国民は事実を事実して知ることができるようになった。そのため、朝日新聞の記事が特定のバイアスが掛かっていることが周知となった。ただ、それだけである。それを「社会の右傾化」などと逃げている。

このコラムから見てくるのは
・朝日新聞自身が国民の知る権利に応えていないという事実は無視
・一方的な記事しか書かないくせに、自らは多様性が大事と言う
・朝日新聞への数々の批判を社会の右傾化としか見られない
という朝日新聞の実態。

朝日新聞は赤報隊事件を「言論の自由への挑戦である」と言う。これに関してはまったく否定しないが、「報道の自由」には責任と義務が伴うことは言うまでもない。

朝日新聞は、最近「複眼的」という言葉も多用しているが、是非「複眼的」なものの見方をした上で、記事を書いて欲しいものだ。

「社会の右傾化」なんて連発しているうちは、朝日新聞が国民の信用を回復することは、絶対にできない!!