赤報隊を名乗る組織が朝日新聞阪神支局を襲撃してから30年。亡くなられた記者ご本人、及びご家族は、さぞ無念であったと推察する。改めてお悔やみを申し上げる。

朝日新聞も5月2日の社説「阪神支局襲撃30年 覚悟をもって喋る、明日も」で、言論への意気込みを語っている。

「社会に開かれた支局を襲う卑劣な犯行は言論の自由への挑戦」
「気に食わぬ言論を暴力で封じる。そんな手法に、理などない」
まったくもってその通りで、この件に関しては朝日新聞に同調する。

しかし、他に言っていることはいちゃもんに近いうえ、論理のすり替えばかりである。朝日新聞は言う。「特定秘密保護法の成立や、審議が進む「共謀罪」法案、防衛省の情報隠蔽疑惑など、政権がすすめる政策やふるまいには、国民の『知る権利』を脅かしかねないものが目につく」。

まず特定秘密保護法の成立で朝日新聞は何か実害があったのか? 報じたいのに報じられないことがあったのか? 「国民の知る権利」とか言ってるけど、朝日新聞自身が「報道しない権利」を行使しまくっている事実をどう考えているのか?

「異論を排除する、すさんだ言葉の横行は、安倍政権の姿勢と無縁ではなかろう」。結局、安倍政権と言うか安倍首相を攻撃したいだけである。

「報道機関が政権の意向を忖度すれば情報は偏り、国民は正しい判断ができなくなる」とも言ってるが、朝日新聞が政権の意向を忖度することはないだろうが、別の忖度が行われていることを国民はよく知っている。

それに、朝日新聞が「国民が正しい判断」をするための情報を提供したことがあるのか?

煽り、扇動、印象操作。朝日新聞の記事は最初から朝日新聞の言い分に誘導するよう、意図的と言うか悪意をもって作られている。国論を二分するような案件でも、自社の言い分を垂れ流すだけ。他の意見を取り上げず、何をもって「国民の判断」などと言っているのか?

結論ありきの記事作り。そのためには事実を歪曲し、それでも不足なら捏造・ウソも当たり前。何度も批判されているにもかかわらず、未だにそんな記事作りをする。

この社説掲載と同日には、宮城の「いじめ自殺」事件のコメント捏造が明らかになっている。こんなことを繰り返す朝日新聞が「自由にものを言い、聞くこと。その普遍的な価値を社会と共有していきたい」とか戯言を言う。

自由にものを言うのはけっこうなことだ。だが、自由の裏には責任と義務が発生する。自由に捏造する、自由にウソをつく、自由に自社に不都合な記事は掲載しない。そんな自由などないことに朝日新聞は気づかなければならい。