江戸時代の天明4年(1784年)に福岡県志賀島で発見された金印。紀元57年に、後漢の光武帝が奴国の王に授けたとされ、「漢委奴国王」って彫られている。

95a5d148.jpg
金印は昭和29年(1954年)に国宝にも指定されている。

一般的には、志賀島の百姓・甚兵衛が水田の耕作中に、偶然発見したとされる。一巨石の下に三石周囲して匣(はこ)の形をした中にあったという。「後漢書」の記述のある金印ということになっている。

しかし、偽物説も根強くあるという。
 発見者の甚兵衛が志賀島に住んでいたという記録がない
 発見場所が海辺の傾斜地で、江戸時代でも田んぼがあったとは考えずらい
 1700年も埋まっていたのに、ほとんど傷がない
 漢代の印章の規定と合っていない
などなど。

金印は平成6年(1994年)の蛍光X線分析によると、金95.1%、銀4.5%、銅0.5%、その他不純物として水銀などが含まれ、中国産の金と推定されている。

江戸時代に、わざわざ中国産の金を使って、偽物を作る理由もよく分かんないけどね。歴史ロマンを追い求めた? 世間を騒がせようとした?

先述した1700年埋まっていたのに傷がないってのは、偽物の根拠にするには、稚拙な論だね。貰ってきてすぐに埋める訳ないだろ。奴国王が死んだときに柩に納められたか、代々末裔に伝わったか、だろ。

ついでに言うと、糸島市の細石神社には、「漢委奴国王」の金印が宝物として伝わっていたが、江戸時代に外部に流出したとの伝承がある。

ところで、桐生市新里町の「武井廃寺塔跡」は国の史跡に指定されている。その名の通り「寺跡」と言うことで史跡に指定されているけど、いまでは「古墳」だというのが周知。
(「火葬墓? -武井廃寺塔跡-」参照)

よほどのことがない限り、この手の指定は取り消されないってことかな?